医療法人新生会 高田中央病院の瀧上茂理事長が 豊後高田市に腰を据えようと決めた理由
この病院は昭和44年に、義理の父にあたる松本昶(とおる)故名誉院長が、整形外科単科42床の松本病院として開設したものです。
私の出身は隣の宇佐市で、関西医科大学を卒業し、約8年間の臨床を終えた後、宇佐で開業する予定でした。開業までの一、二年をここで地域臨床をしようと、57年に内科部長(副院長)として着任しました。それ以来ずっとここにいます。
当時、この地域には内科系はもとより多くの疾病の診断と治療を必要とする患者さんがおられ、多くの時間を費やして市外の病院に行かざるを得ませんでした。眼科と小児科は開業されていましたが、様々な事情で閉院せざるを得ない状況にありました。私は内科医をやりながら、他の疾患も診ざるを得ませんでした。そのような状況で、この地域の医療を考慮したとき、充足されていない診療科を可能な限り設置する必要があると思い、ここに腰を据えようと決めました。
しかし私は地元の大学を出たわけではなくパイプがありません。そこで当時の大分医科大学第二内科教室を訪問し、藤岡利生先生(元=大分大学副学長、現高田中央病院総院長)に応援をお願いすることから始めました。循環器科や呼吸器科、神経内科、血液内科などの専門医の派遣を頂きながら、さらに行政や医師会の支援のもと、眼科や小児科診療の設置にむけて懸命に教室への訪問を行ないました。
平成3年には病院の名称を変えることになり、当時の職員に募った結果、医療法人社団高田中央病院(現=医療法人新生会)に組織変更し、松本院長が理事長、私は院長に就任しました。そのあと眼科、外科・泌尿器科(人工透析)、皮膚科を開設し、2度の増床ののち、現在の117床となりました。
それと並行して、訪問看護ステーションやデイケア、介護老人保健施設(入所定員83人)、総合リハビリテーション、サテライト診療所、放射線科設置、そして平成25年に小児科の常設がスタートし、市の乳幼児健診などもすべて担わせていただいています。また本年4月に消化器疾患内視鏡センターを開設しました。
豊後高田市にない医療を求めてきた理由は、地域急性期医療はもちろんのこと、大学病院などで診断・治療された特殊な疾患を有した患者さんに、その後は当院でフォローできればと思ってのことです。市の要請で30年以上前から救急指定病院としての役割を担っており、私自身は神経難病患者のための人工呼吸器装着下自動吸痰装置の開発メンバーとして「大分発の医療機器」開発の手伝いをさせていただきました。なんと世界初の装置だそうです。
少子高齢化で豊後高田市も人口減となりました。当院は、地域の基幹病院として急性期から慢性期までの医療を提供し、地域完結型の医療・介護・福祉を地域ぐるみで実現するためのリーダー役を担っていきたいと思っています。大分大学、豊後高田市、豊後高田市医師会がタイアップした遠隔画像診断システムも5年程前に構築し、画像センターとして機能を果たしています。今年4月から豊後高田市は、医師会の協力のもとで無料のピロリ菌検査プロジェクトを発足させ、ピロリ菌撲滅に取り組んでおります。兵庫県の篠山市に次ぐ全国レベルのものと思われます。ほかにもへき地医療拠点病院としての役割も担っております。
市長発案の「学びの21世紀塾」で中学生に、地域の医療や未来について講話をし、また警察医も務めるなど、様々なことをやっているのは、地域の方々に安心して暮らしてもらいたいからです。医療がなければ地域が成り立たない時代はすでに到来しています。
振り返ると、組織の目標「心のかよう病院」を目指し、時間をかけていろんな人と出会い、支えられここまで来ました。つくづく人の縁の大切さを感じますが、今後も、住民の方に安心と良質の医療・介護・福祉を提供し続けるため、一歩一歩積み重ね、多くの人と出会い、協力、指導を頂きながら、組織運営を追及していきたいと思います。
これから医療、介護、福祉、そして地域保健は住民生活の中にもっと広がります。但し、それを支えるには若い力が必要です。生まれ育った地元で働く際には、このような分野も選択肢の1つにしてほしい。人間を扱うのは貴重な仕事だということを、これからも発信していきたいと思います。
関連法人と施設=社会福祉法人豊陽会
■養護老人ホーム「六郷園」入所定員50人
■株式会社日豊ケアサービス
■介護付有料老人ホーム「ケアプレイスオリーブ」入所定員54人
■住宅型有料老人ホーム「サンライフオリーブ高田」入所定員30人
■住宅型有料老人ホーム「サンライフオリーブ高田東館」入所定員40人