老揺期のいのちを考える

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にのさかクリニック・バイオエシックス研究会 米沢慧「いのちを考える」セミナーより

=帰還期(老揺期)のアイデンティティ=  鐘ヶ江 寿美子

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 高齢社会、老年期の長期化に伴い、健康状態が不良となり介護を要する期間も長期化している。にのさかクリニック・バイオエシックス研究会「いのちを考える」セミナーの講師である、評論家の米沢慧氏は、この時期を「老揺(たゆたい)期」と名付け、老揺期の最大の課題「認知症」を単に脳の疾患ではなく、老揺期における「いのち」の姿=シンボルとしてとらえる大切さを語る。しかし、最近の社会的動向は認知症への「対応」、すなわち直接的なケアの方法論が先行し、肝心の社会的な受けとめ方に関する議論が希薄な印象がある。高齢者の行方不明者が1万人にも上っているが、認知症の人の徘徊・失踪がいわゆる社会的現象として報じられ、多くの市民は「自分の問題」として捉えていないことに危惧を覚える。認知症という老揺期の問題を見直すため、ライフサイクルとしての老年期の捉え方を再考し、老揺期の「いのち」を考えるセミナーが開かれた。

■長寿社会の今、ライフサイクルの再考

 20世紀、オーストリアの精神分析学者ジークムント・フロイトはライフサイクルを胎児期〜性器期に分類した。その後、米国の精神分析学者エリク・H・エリクソンが、ライフサイクルを、①生物的過程、②精神的過程、③共同的過程(社会的)の3つの体制より成るアイデンティティの形成を中心に、Ⅰ期の「乳児期」〜Ⅷ期の「老年期」までの8段階に分けた。

 米沢氏はエリクソンの示したライフサイクルⅠ期「乳児期」の前に「ゼロ期」を、Ⅷ期「老年期」の後にⅨ期として「帰還期」を想定し、65歳以降を「老年期」と「帰還期」に分けて論じる。

■ゼロ期と帰還期

 生誕と死は「個体」の命の時間軸上では始まりと終わりであるが、人類の「類」としての視点からは「いのち」のできごと(リズム)として対である。「ゼロ期」を設定すれば、必然的に老年期の向こうに新たな葛藤の位相として「帰還期」が想定され、葛藤は安心=安定と不安の間の揺らぎである。ゼロ期と帰還期には共通点が多い。

 米沢氏は「ゼロ期」を、胎児期を含む母親的環境として「揺籃(ゆりかご)期」に対応させている。誕生時は「いのち」の受け止めがある。寄るべない、不安な状態で生まれた時、人は初めて愛を求める。従来、受け止め手は母親や祖母によることが多く、赤ん坊を抱き、眠らせ、排せつの世話をし、乳を与える一連の動作は優しさに満ちた「母親的環境」の中でなされる。

 「死」もまさに「いのち」を受けとめる瞬間である。「帰還期」は移動、睡眠、食事、排泄といった日常生活の全てにおいて介護を要し、「受けとめられる」ステージであり、米沢氏の提唱する「老揺期」に対応している。帰還期の人々に関わるには、その人の存在に対する配慮、敬意、倫理が必要であり、それは優しさのある母親的環境が望ましい。高齢社会の今、帰還期を生きる人は増えている。それゆえに「ホスピス社会」としての視点が欠かせない。

■「老年期」のアイデンティティ

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 エリクソンは老年期を死の恐怖や身体の不調を自覚しながらも、それまでの人生を振り返る時期ととらえた。「統合」(今までの人生を受け入れ、自己を肯定できる心(力))と「絶望」(今までの人生に満足や納得ができない心理的状況)の激突の時期とし、統合が絶望より勝る場合に、「英知」(死に向き合いながらも、生そのものに対する聡明かつ超然とした関心)が導かれるとしている。英知は人生の統合と絶望との葛藤を受けとめ、人生を肯定する視点である。

■「帰還期」のアイデンティティ

 帰還期(老揺期)の3割以上の人が認知症とともに生き、帰還期のアイデンティティの問題は、認知症のアイデンティティの問題でもある。認知症の人は記憶や見当識の障害と変動する意識レベルによる混乱の中、安定と不安定、安心と不安、各々の波に漂う木の葉のような存在であろう。認知症による失語により、言語を介したアイデンティティの確認は困難であり、帰還期のアイデンティティは個別性が高く、個々のライフヒストリーを紐解く必要がある。

 「認知症ケアの倫理」における世界的第一人者、Stephen G. Post 教授によると、認知症の人のアイデンティティは過去より継続していて、個人史をたどると、①創造的 ②シンボル的 ③感情的 ④関係性 ⑤身体的 ⑥音楽的 ⑦リズム感 ⑧美的 ⑨嗅覚 ⑩宗教的 ⑪触覚 ⑫認知に関する側面にその人をうかがい知ることができると言う。例えば、普段はめったに話さない人が、懐かしい唱歌を歌った後、訪ねてきた孫を認識し、満面の笑みで話し始める等である。このように①〜⑫の側面に認知症の人のアイデンティティが表わされたとき、Post 教授は「驚きの扉が開かれる」という表現を用い、認知症の人の自己の継続を感じる瞬間としている。それが介護をする人々にとって希望となる。

帰還期のいのちへの配慮

 帰還期、特に認知症の場合、人は自分のことばを聴いてくれる人、自らの存在を「受けとめてくれる人」を必要とする。認知症の人から発せられるメッセージは単純な音の連続だったり、失認により複雑化していたり、単に聞いているだけでは真のメッセージを理解することはできない。全国各地のグループホームで試みられている「聞き書き」はこれを解決する方法の一つで、認知症の人が発する固有のことばを拾い、つむぎあげ、彼らが真に意味していることを推察する。「聴く」とともに、傍にいる「寄り添う」ことも意味がある。聴くこと、傍にいること、ケアをすること等、帰還期のいのちに寄り添う際に最も重要なことは、「存在に対する敬意と倫理」であると米沢氏は論じる。敬意とともに優しさ、愛情、母親的環境も大切な要素である。

地域包括ケアシステムの中で

 地域包括ケアシステムとは「高齢者の尊厳の保持と自立生活の支援の目的のもとで、可能な限り住み慣れた地域で、自分らしい暮らしを人生の最期まで続けることができるような、地域の包括的な支援・サービスの提供体制」である。認知症高齢者の地域ケア対策、オレンジプランでは、認知症の早期診断、早期介入により、認知症の人が自己のアイデンティティを見失わないうちに、地域の医療機関、介護サービス事業所、インフォーマルな支援者との関係を構築し、なるべく自宅・地域での暮らしを継続できるように支援する必要性が記されている。

 在宅医療の現場では、高度認知症で寝たきりの親を懸命に介護する家族と出会う。24時間の介護は、身体的、精神的に負担ではあるが、親のかすかな表情の変化、時々発せられる言葉に親の「継続するアイデンティティ」を見出し、ささやかではあるが幸せを感じ、明日への希望につなげる姿を拝見する。帰還期のアイデンティティをとらえることは容易ではないが、そのアイデンティティを意識して接する(寄り添う)ことと、配慮せずに「介護を提供する」ことでは、倫理的には格段の差があることを私たちは心に留めるべきである。

 高齢社会において「住み慣れた地域で最後まで自分らしく生きる」には、老揺期の人、すなわち介護を要する高齢者、認知症の人、障がいを有する人、ターミナル期の人の存在に対する敬意と倫理を大切にする市民の意識と、優しさのある母親的環境(居場所)を地域社会に育むことが求められる。


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