県民10万人のデータを活用したい

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公益財団法人宮崎県健康づくり協会 理事長 江藤 胤尚

1959 鹿児島県立川内高等学校卒1965 九州大学卒1972九州大学医学研究科修了 1974 九州大学医学部附属病院助手1979 米国クリーブランド・クリニック留学 1981 九州大学医学部併任講師 1984 琉球大学医学部内科学第3講座助手1988 宮崎医科大学内科学第一講座助教授 1991 同教授 2003 宮崎大学医学部附属病院院長 2004 宮崎大学理事 2007 宮崎大学名誉教授 2008 財団法人宮崎県健康づくり協会統括医監 2014 公益財団法人宮崎県健康づくり協会理事長

 宮崎健康づくり協会は平成9年、㈶結核予防会宮崎県支部、㈶宮崎県対ガン協会、㈶宮崎県健康増進協会、㈶宮崎県予防医学協会の4団体を統合して発足し、現在は県内全域で検診の実施や健康づくりに関する知識の普及を行なっている。県からの委託事業も多い。宮崎県中央保健所も入る建物の中に本部はあり、車庫には検診用の大型車輌が並ぶ。公益財団法人に移行して現在2年目。今年4月から宮崎大学医学部附属病院の院長も務めた江藤氏が理事長に就任している。江藤氏は大学が法人化した時の院長で、難局を乗り切った経営手腕に定評がある人物。

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 理事長になりましたが、私も医師の診察が必要な時は検診現場にでかけます。まだ医師として現役です。医師は私を含めて常勤5人と、常勤嘱託が7人の12人です。

 法人全体では胸部X線を撮る車が9台、胃透視検査の車が6台、肺がんのCT検査ができる車が2台、乳がん検診用が2台、子宮がん検診用を1台持っています。

 胸部検診車は本部には4台だけ置き、残りの5台は都城事業所、延岡事業所をはじめ、日向や日南などの支所に配置しています。県内各地の保健所の建物の中に、当法人の支所が入っている状態です。

 私は先代の渡邊克司理事長に誘われて、平成20年に統括医監として就任しました。まだ現場の医者として仕事できるなら本望だと考えたわけです。渡邊前理事長も宮崎大学医学部附属病院の院長をされており、よく知った間柄でした。本部所在地の目の前は県医師会の会館で、医師会の理事をしていた頃、この建物が建設されるのを見ていました。その時はまさか自分がここで働くことになろうとは思いませんでしたね。

 理事長になって以降も、私自身は検診データの統計処理に大きな時間を割いています。生活習慣病に関する検診データが毎年10万件くらいあります。これは県民の健康状態を知る貴重な資料となります。その成果を健康づくりに生かしてもらいたいと考えそれぞれの市町村や企業に結果を報告し、健康増進への手助けにしてもらっています。

 宮崎県は全体的に見て、肥満の多い地です。おいしいものが多くてよく食べているせいでしょう。メタボが多いかどうかは、全国にきちんとした統計がないのではっきりとは言えませんが、厚労省の栄養統計を参照しますと、やや炭水化物を摂りすぎ、やや脂肪を摂りすぎで、いわゆる悪玉コレステロールも高い地域です。最近5年のそのデータを見ると、悪化傾向にあるのが問題で、啓発活動にはもっと力を入れるべきだと言えます。県内全域の膨大なデータを持っているのですが、まだ十分に活かせていないと感じています。これをどう発展させるかは今後の課題です。これだけの情報量はザラにはありませんから、活用できれば大きなメリットになると思います。

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 このデータを用いて、若い医師が今学位論文の作成に挑戦しています。大方の医師は治療をやりたがるものですが、病気にさせないことも重要な医師の仕事だと思います。疫学データ解析に興味があるならば、若い医師にとっても魅力ある職場だと思います。

 渡邊前理事長は、内科医が欲しくて声をかけられたのでしょうが、ここは私の経験に合った職場でした。教授になってからは、高血圧の成因の研究に医局員を総動員して取り組んできましたから、知らない人がほとんどですが、私は検診やデータ解析に携わってきた経歴があります。

 九大にいた45年前、高血圧検診という概念がまったくなかった時代に、企業の健康診断にそれを取り入れる手伝いをし、軌道に乗せました。ほかにどこもやっていなかったことで、参考にできるものがない、ゼロの状態から立ち上げました。その後糖尿病検診や腎臓検診を併せて行なうようにしました。1万数千人の従業員のデータを解析するのに、当時は大型のコンピュータが必要でした。

 琉球大学に赴任した時もこの仕事を少しやり残していましたが、大学間を結ぶネットワークを使い、九大大型電算機センターを琉大から操作して解析を続けました。今は私の部屋の数台のPCで事足りますから、便利な時代になったと感じます。宮崎に来てからも、教室員を指導しながら清武町(宮崎市の合併特例区)の検診データを整理する仕事をやってきました。

 そういった経験が根っこにあるので、この仕事を引き受けたというのもあります。今は若いころに気持ちが戻ったようです。

 父が鹿児島県の職員で、県内をあちこち回っており、高校時代は川内で過ごしました。もともとは鹿児島県曽於郡の出身です。曽於郡は昔の諸県郡(明治16年―1883に宮崎県と鹿児島県に分けられる)ですから、宮崎県の都城市に近接した地域で育ちました。

 宮崎大学に来たのは、私が入局した時に九大第二内科の教授だった勝木司馬之助先生が、宮崎医科大学の初代学長になられたことが縁となっています。私は勝木教授と、あとを継がれた尾前照雄教授の弟子ですので、第二内科で現在も継続されている久山町研究の成果も、現在の私の大きな支えとなっています。


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