久留米大学医学部耳鼻咽喉科・頭頸部外科学講座 主任教授 梅野 博仁
■日本耳鼻咽喉科学会専門医、日本気管食道科学会専門医、頭頸部癌暫定指導医、日本がん治療認定医、頭頸部癌専門医
■日本耳鼻咽喉科学会、日本気管食道科学会、日本音声言語医学会、耳鼻咽喉科臨床学会、日本頭頸部癌学会、日本頭頸部外科学会、日本咽頭科学会、日本嚥下医学会、耳鼻と臨床会、日本食道学会、日本口腔・咽頭科学会、日本耳鼻咽喉科免疫アレルギー学会、アメリカ気管食道科学会
主任教授に就任して5か月。「まだ落ちつきませんね」
と言う梅野博仁教授に、教室の目標と方向を中心に話してもらった。
―どんな教室にしたいですか。
教室員であることが幸せにつながればと思います。自分に誇れる仕事を持ち、やりがいを感じられる場として発展できることが理想です。
耳鼻咽喉科・頭頸部外科は守備範囲がとても広いです。耳科、鼻科、口腔・咽頭科、喉頭科、頭頸部腫瘍(甲状腺外科を含む)など、どの分野も最先端化して多岐にわたり、どの分野でもエキスパートになれます。
耳鼻咽喉科には5年、10年、15年、20年と、手術ができるようになるランクがありますから、少しずつ自信が出てきます。
努力すればするほど臨床を通して疑問を克服できますし、技術レベルも上がります。社会に貢献し、世の中の求めに応えようとする向上心を持ちつづけて励んでほしいと思います。そしてそれが実現できる教室であったらと思います。
一流の教室を維持し、国内外に貢献したい。そこで教室員が自分の居場所をみつけていい仕事ができ、それで幸せになってくれることが私の目指すところです。
―なぜ耳鼻咽喉科を選んだのですか。
父親は鳥栖で耳鼻咽喉科を開業していましたが、私自身は学生時代、消化器内科の内視鏡診察にとても興味を持っていました。でも進路を選ぶ段階で、いつも身近に見てきた父の仕事とその背中から、自然と興味が耳鼻科に向かったこともあると思います。家が病院に隣接していましたから、インターホンや電話が鳴ると出ないわけにはいきません。夜に何度も起こされて寝られなかったということもあったようです。
意志を引き継ぐというほど大袈裟なものでなくとも、そのような経緯から親と同じ耳鼻咽喉科を選ぶ医師は多いと思いますし、あるいは10時間以上もかかるようなダイナミックな手術をやりたくて入ってくる人もいます。
どんな世界でもそうでしょうが、勝負は医者になったあとですから、耳鼻科医になる動機は何でもいいと思います。進路は人それぞれ、研究を続けるために大学に残りたい人や、故郷で開業医になって地域医療に貢献する場合など、状況もさまざまです。
―耳鼻咽喉科の特徴は。
スペシャリストとしての価値、存在意義は大きいと思います。
世間一般には鼻と耳だけ診る地味なイメージがありますが、1つの例として、耳鼻咽喉科の範囲の中に、脳から下、肺から上までを扱う頭頸部外科という分野があり、たとえば上顎がんなどで頭蓋底に浸潤があると、脳外科と一緒に手術をします。開頭して脳をよけてもらい、場合によっては眼球も摘出し、上の方から手術をしたあと形成外科が入ってきて、遊離筋皮弁や骨膜弁、骨などを持ってきて頭蓋底を再建することもあります。
今はチーム医療の時代です。脳外科、呼吸器外科、食道外科、形成外科など、分野・領域を越えて、各科を横断したコラボレーションの手術になります。1人のスーパー術者がすべてをやる時代は終わっています。
―一人前になる秘訣は。
大きな手術を最初からできるわけではありません。上にできる人がいて、その人に助手として付いて、少しずつやらせてもらっているうちにだんだん面白くなって自信がついてきます。手術は確かに体力を要しますが、気心の知れたチームや仲間で行ない、良い治療成績を出して、学会で発表して論文に書いて、周囲から認められるのは医者としてありがたく、よろこばしいことです。
医師はハードな職業です。でも密度の高い価値といいますか、密度の濃い時間を過ごせ、自分の努力で高い満足感を得ることができます。努力をしなければ、知識も技術も身につかず、高い満足は得られません。医者になったというだけではまったく駄目です。世間が求めている、こんな医者であってほしいという像は非常にハードルが高く、それに近づこうとする努力は必要だと思います。
―高齢社会に思うことは。
人口の4分の1が高齢者です。特に耳鼻科領域では、難聴や嚥下障害などが増えてきます。近い将来、難聴は再生医療で治療したり、嚥下障害についてもいろんな手術があります。リハビリも含めて改善することが我々の仕事です。
高齢化社会はいろんな面で難しい時代です。しかし、長く快適に過ごせるように医療者として力を惜しまないことに変わりはありません。