岡山大学大学院医歯薬学総合研究科 呼吸器・乳腺内分泌外科学
教授 三好 新一郎
岡山大学病院は平成10年、国内初の生体肺移植に成功し、現在も国内肺移植では最大数を実施。およそ3分の1の症例数を持つ。それを総括する三好教授もまた肺移植のスペシャリストで、阪大の助教授時代の平成12年、国内2例目の生体肺移植と1例目の脳死肺移植を執刀した。また日本に肺移植認定施設は9しかないが、うち2つの立ち上げにも関与している。しかし教室は肺移植だけに特化しているわけではないと、教授は語った。
岡山大学でずっと肺移植の執刀をされていた伊達洋至教授が、平成19年10月に京都大学の教授として転任され、後任として平成21年4月から教授になりました。7代目の教授になります。それまでも岡山大学には非常勤講師で来てはいましたが、当時自分がこの大学の教授になるとは想像もしませんでした。
私は、世界で初めて肺移植を執刀したトロント大学のジョエル・D・クーパー教授に指導を受けました。トロントに1年いましたが、教授が転任されたので、セントルイスのワシントン大学にも1年いました。
セントルイスに移って半年経ったころ、伊達教授が家族を連れて留学で来られたので、先に来ていた私がお世話をしています。伊達教授とは言わば「同じ釜の飯を喰った」間柄ですね。前教授たちと親しくしていたこともあり、岡山大学に来たばかりのころから、同門会の先生たちからは歓迎されたように思います。「競争相手が来た」という感じではなかったですね。
初期の移植に関わった私たちは、お互いライバルではありましたが、日本に移植を根付かせるために協力関係にありました。だから日本全国の移植をやる人とは仲が良いんですよ。
第5代の清水信義名誉教授とも家族づきあいをしており、今も一緒にテニスをします。テニスはもともと好きだったのですが、教室自体で盛んなスポーツです。岡山に来てずいぶん上達しました。
私は阪大と獨協医大で肺移植のチームを立ち上げました。しかし岡山大学にはすでに立派な移植チームがありましたから、修正を少しするくらいです。伊達教授の次の世代として、オーストラリアで移植を経験してきた大藤剛宏准教授が何例も難しい手術をしています。このチームはスリランカで最初の肺移植をしていますが、呼吸器外科医をはじめとして、看護師、麻酔医、心臓外科医、その他肺移植関係のスタッフがそろって岡山大学病院から派遣されました。大藤准教授は、岡山大学病院で肺移植をしているような雰囲気で手術ができたことを、たいへん感謝していました。
教室は肺移植で注目されがちですが、豊岡伸一教授(臨床遺伝子医療学講座)を中心として、肺癌のチームも先進的なことをやっています。学会発表や留学など、世界で通用する仕事をやっていて、癌治療は日本の呼吸器外科の中でトップクラス。近年は癌の遺伝子解析をしており、この研究は凄いなと感心しています。最近、胸膜中皮腫に対する遺伝子治療の治験を始めました。教室自体、肺癌の研究を長くしてきた歴史もあり、患者さんも多い分野です。このチームの頑張りが、教室全体の雰囲気を良くしていると感じています。
また教室には、乳腺内分泌のグループもあります。こちらは土井原博義先生に学内教授になってもらい、一任をしました。土井原先生が良く面倒をみてくれているので、こちらのグループも士気が高く、良い状態です。
各チームに頼もしいスタッフが揃っていて、苦労は少ないです。来てもう5年になりますが、素晴らしい教室に来たという思いが強くあります。
来年の6月12日・13日の2日間、岡山コンベンションセンター(岡山市北区)で第58回関西胸部外科学会学術集会を開催します。
また、再来年の9月28日から10月1日まで、第69回日本胸部外科学会定期学術集会の大会長です。参加者が多いので、近年この学会は大きな会場がある東京、大阪、名古屋、福岡、仙台で開催する決まりになり、私は大阪で開催する予定でしたが、会場の予約がいっぱいで借りられず、特別に岡山 開催になりました。会場は岡山コンベンションセンターとホテルグランヴィア岡山です。私ももう岡山の人間になっていますし、地元開催を喜んでいます。同門会の先生方の協力も得やすいので、心強いですね。
愛媛県の出身で、実家には近くなりました。お盆には母や姉に会いに帰ります。
栃木県にずっと住もうと思って家を買っていたのですが、岡山に来ることになったので、売りました。関東甲信越での肺移植1例目は私が執刀し、それが大きく報道されたので、近所の人達の間で有名人になっていました。それで近所の方が世話をしてくれ、家の買い手はすぐにみつかったんです。
岡山は良いところです。瀬戸内海の気候で育ったので、慣れ親しんだ環境に近いものがあり、過ごしやすく感じます。この町に来て良かったなと思うことが年々増えています。