挑戦する気風は病院の財産

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国家公務員共済組合連合会 呉共済病院病院長 村上 恒二

1972 広島大学卒 広島大学医学部附属病院研修医 1973 厚生連府中総合病院 1975 コーネル大学ニューヨーク病院リサーチフェロー 1977 広島大学医学部附属病院 医員 広島大学医学部整形外科助手 1985 同講師 1991 同助教授 1994 広島大学医学部保健学科教授(身体、精神、神経障害作業療法学講座) 2002 同学科長 2004 広島大学大学院保健学研究科教授(心身機能生活制御科学講座) 同研究科長 2008 広島大学名誉教授 広島市総合リハビリテーションセンター病院長 2012 同 センター長・病院長 2013 同センター長 2014 呉共済病院病院長 呉共済病院看護専門学校校長

 平成20年に広島市が新しく作った広島市総合リハビリテーションセンターの初代院長で、昨年までそこにいました。病院のほか、障害者の自立訓練施設や身体障害者更生相談所があり、24年からセンター長も併任しています。新設の施設でゼロから立ち上げに関わり、大変でしたがやりがいのある仕事でした。全国からリハビリテーションの専門医を集めたんですよ。

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「適応能力の高さは私の長所です。人生は楽しむためにあるのですから、新しい仕事、新しい土地を楽しむべきだと考えています」と院長。

 定年を迎え、「人生最後のご奉公」というつもりでこちらに赴任しました。前任地とは逆に、今年で創立110年という、歴史ある病院です。

 今年4月から勤め始めましたが、実は来た時、知っている人はほとんどいませんでした。同じ病院で一緒に働いたことのある人は一人もいない病院です。しかし変な馴れ合いがない状態から関係をスタートさせますから、良いことも多かったと思います。みんなが非常に頑張っている病院で、そ れが私のひいき目なしの評価だということが自分自身で分かっていますから、それも良かったことですね。

 救急を熱心にやっている病院で、来てすぐに感じたことは、地域開業医の先生方からの信頼が非常に厚いということでした。歴代の院長をはじめ、 この関係を築いてこられた方々と、今現場で働く皆さんに感謝しています。急性期病院では救急機能が重要ですから、今後もここは大事にしたいと考えています。

 当院は、早い時期からスポーツジムやプールを作っています。病気や怪我を治すだけではなく、健康増進という考え方が早くからありました。院内にレストラン街を整備したのも随分前で、新しい時代感覚を取り入れる雰囲気があるようです。今はがんのペプチドワクチンを始めており、できる限りのサポートをしたいと考えています。新しいことを始める気風は財産だと思いますね。時代は大きく変わっているわけですから、その変化に挑戦していく病院であり続けたいです。

 ここには広島大学から40人、岡山大学からも40人の医師が派遣されています。加えて初期研修医が13人、後期研修医が6人、合わせて100人の医師がいます。

 院長になってすぐ、それぞれの大学の医局にあいさつに行きました。あいさつという形で岡山大学に行ったのは、はじめての経験です。前任地では広島大学の神経内科からは派遣していただいていましたが、ほかの医師は医局との関係で来ていただいたわけではありませんでしたから、広島大学も初めてみたいなものでした。長く院長をしていましたが、医局へのあいさつ回りをやっと経験することになりました。

 一方で、フルマッチが何年も続く、研修医に人気のある病院です。それで、「高度な医療機能」、「緊密な医療連携」、「救急機能の重視」に加え「高 度な研修機能」を病院の目標にしました。今後も、優秀な若い人が集まる病院であり続けなければなりません。院内の活気が違います。

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 これまで呉市で働いた経験自体がなく、住んだこともありません。今までは縁の薄い町でした。学生時代やっていた野球部の後輩が近隣の病院に勤めている程度のつながりの町です。しかし海が好きなので、来てすぐに好きになりました。毎朝広島市内から高速道路を使って通勤しているのですが、町並みと呉湾の美しい景色がとても気に入っています。ドライブを楽しんでいるような通勤です。8月2日に開催された呉海上花火大会には、来賓として呼んでいただき、楽しんできました。また下蒲刈島の蘭島閣美術館に行ってきましたが、素晴らしいものでした。

 かつては重要な軍都で、40万人が住んでいましたが、現在は24万人です。人口減に対して医療機能をどう維持し、どう向上させるかは、当院にとっての課題だと考えています。多くの職員の意見を聞き、それをうまくまとめて病院運営をしたいと考えています。今後も市民の皆さんが「呉共済病院があって良かった」と思うような、選ばれる病院にしていかないといけませんね。

 昭和52年に米国留学から帰ってきてからは、平成20年までずっと広島大学にいました。整形外科医として現場にいましたが、平成6年、医学部に保健学科ができてそこの教授になりました。日本の大学で初めての、作業療法士を育てる講座の教授です。平成14年からは保健学科の学科長になりました。平成15年からは大学の法人化に関わり、大学院の講座化などを推し進める仕事もしています。保健学科を大学院にするということで、文科省と交渉をする役目もあり、大変でしたが面白みのある仕事だったと、今でもしみじみ思い出します。手術が得意だったので、当初は現場を離れることが嫌だったのですが、やってみると新しいことを始めるのが性格に合っていたようです。教授職についてしばらくすると、現場への未練はなくなりました。それまでに多くの手術をしていたから、 新しい仕事に気が向いたのだと思います。

 日本サッカー協会の医事委員やAFCアジアカップサッカー1992の医事委員長など、サッカーに多く関わりましたが、私は野球が趣味なので、選手の気持ちをうまくくみ取れない部分があったと思います。一方昭和58年から平成15年まで、広島カープのチームドクターでした。カープの野村謙二郎現監督や山内泰幸現ピッチングコーチ、正田耕三さんや西山秀二さんの手術をしています。ほかに、元中日の山崎武司さん、今中慎二さん、ダイエーの投手だった斉藤和巳さんなど、53選手の手術を執刀しました。

 広島県尾道市の向島出身(旧御調郡)です。今は2本の橋が架かり、市街に簡単に行けますが、高校時代はピストン輸送のフェリーボートに乗り通学していました。向島も尾道も、呉に劣らず良い町ですよ。


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