医療と法律問題|九州合同法律事務所 弁護士 小林 洋二

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医療事故と法律14

 ここ三回ほど、「過失」に関する刑事事件と民事事件との考え方の違いについて説明してきましたが、刑事と民事との違いはそれだけではありません。

 以前に述べたとおり、刑事責任の本質は行為者に対する人格的批難であり、国家による個人の処罰です。この処罰が恣意的に行われるようだと、個人の自由は国家によって圧殺されてしまいます。そこで必要になるのが、罪となるべき行為は予め法律に定められたものに限るという「罪刑法定主義」という原則や、有罪が証明されない限り処罰されないという「無罪推定」の原則です。刑事訴訟法三三六条の「被告人が罪とならないとき、又は被告事件について犯罪の証明がないときは、判決で無罪の言渡をしなければならない」という条文はそのことを表現したものとされています。後者の原則はまた、「疑わしきは罰せず」という法格言で表現されることもあります。

 つまり、刑事責任を問うためには、訴追する国家権力側(検察官)が、犯罪を証明しなければなりません。医療過誤のような業務上過失致死傷の場合、医療従事者に過失があること及びその過失によって患者が死亡したという因果関係を検察官が証明する責任を負います。その証明の程度は、「合理的な疑いを差し挟む余地のない程度」と表現されるのが一般です。

 医療に関する事件ではありませんが、この証明の程度を論じた判例として昭和48年12月13日の最高裁判決があります。現状建造物放火につき、状況証拠に基づいて被告人の犯行だと認めた原判決を、「疑わしきは被告人の利益に」との原則に従い、犯罪の証明が十分ではないとして破棄、無罪とした判決です。

 「裁判上の事実認定は、自然科学の世界におけるそれとは異なり、相対的な歴史的真実を探究する作業なのであるから、刑事裁判において『犯罪の証明がある』ということは『高度の蓋然性』が認められる場合をいうものと解される。しかし、『蓋然性』は、反対事実の存在の可能性を否定するものではないのであるから、思考上の単なる蓋然性に安住するならば、思わぬ誤判におちいる危険のあることに戒心しなければならない。したがって、右にいう『高度の蓋然性』とは、反対事実の存在の可能性を許さないほどの確実性を志向したうえでの『犯罪の証明は十分』であるという確信的な判断に基づくものでなければならない」

 これに対して平成19年10月30日最高裁決定は、「合理的な疑いを差し挟む余地がないというのは、反対事実が存在する疑いを全く残さない場合をいうものではなく、抽象的な可能性としては反対事実が存在するとの疑いをいれる余地があっても、健全な社会常識に照らして合理性がないと一般的に判断される場合には有罪認定を可能とする趣旨である」としており、ややハードルを低くした印象があります。

 袴田事件や足利事件といった再審事件をみると、無罪推定の原則がどこまで機能しているのかという疑問は拭えないところですが、理論的にはかなり高い証明のハードルが設定されていることは間違いありませんし、医療事故の否認事件で無罪事件が珍しくないのはそのためなのです。

 ■九州合同法律事務所=福岡市東区馬出1丁目10-2 メディカルセンタービル九大病院前6階TEL:092-641-2007


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