㈱アステムを定年退職した 生野 修一さん(65)
今年6月で65歳になり、㈱アステム(福岡本社=福岡市博多区東比恵)を退職した。60歳まで課長を務め、それ以降は継続雇用だった。
1980年に入社。営業畑を中心に福岡の大病院を担当してきた。最後の5年は博多区吉塚にある倉庫で医薬品のピッキングをやり、現場のよき相談者だった。退職の際には惜しまれたという。
北九州市出身。30余年を振り返り、「高望みはしなかった。ずっと健康でよかった」と語る。妻の信恵さんも「普通がいいんです」と話す。福岡市西区内浜のマンションに妻の母との3人暮らし。
11年前からピアノを弾いている。西新まで習いに行き、今はショパンのノクターンを練習中で、50%くらいの出来栄えだという。
「実は小学5年から中1まで習っていたんです。でもバイエルばかりで面白くなく、嫌だった」
100%満足いくまで上達したら、次はリチャードクレイダーマンの「渚のアデリーヌ」を弾くのが夢。大学時代にはロックバンドでベースを担当していた。時間をやり繰りして習字も習うつもりでいる。
テニスも数人の知人とグループを作り、20年くらい続けている。場所は東平尾公園(博多の森)。隣のコートで糟屋郡医師会の医師が時たまプレイしているそうだ。
テニスのいいところは、「ビールがおいしく飲めますから」。横から信恵さんが「本当に酒好きなんですよ」と口をはさむ。彼女の実家は酒屋で、子供のころ酔っぱらいをたくさん見て育ったそうだ。
「仕事人間と呼ばれる人は、打ち解ける人がいないのではないでしょうか。仕事以外で話せる、裃(かみしも)の脱げる相手が何人かいたほうがいい。せっかくの人生だから、別の世界をいくつも持っていた方がいいと思います」