特定医療法人聖ルチア会 聖ルチア病院 理事長/院長 大治 太郎
2012 同理事長 現在に至る。
■医学博士 精神保健指定医 本精神神経学会精神科専門医 日本小児学会専門医
世代で異なる精神医療への印象
聖ルチアという名称は、シチリアの聖女の名前で「光」との関連が深いといわれています。創立者の柴田至理事長が戦後間もないころ、精神障害に苦しむ人に、当院の光を目指して治療に来てほしいとの願いを込めたもので、昭和27年(1952)の創立です。
先々代の柴田道二理事長の時代の昭和58年(1983)には全病棟が開放され、精神科病棟の開放化が先駆的に行なわれました。これは地域の方々の理解があってのことで、今もなお病棟は開放されています。
平成23年(2011)には建物が新しくなり、やはり私たちは、患者さんが隔絶された院内にいるのではなく、地域と交流を持ちながら入院生活が送れることを理想にしています。263床ある中規模な精神科病院で、急性期医療に舵を切りながら、認知症など時代のニーズに応じた対応ができるよう努力しています。
認知症の周辺症状で入院されている方でも、おおむね2か月以内には7、8割の方が退院されます。
精神疾患は誰にも起こり、これを疾患と見なさなければ関われないわけで、きちんとした治療とリハビリを提供していけば、社会性も取り戻せますし、職場復帰をされる人もたくさんいます。
その意味から、精神科病院受診の敷居がずいぶん低くなっているのではないかと思います。ただ、30代や40代の方であればそう理解されて普通に受診されますが、50歳や60歳以上の方になりますと、やはり精神科病院の敷居の高さをずいぶん感じられて、たとえば認知症のある高齢の親を入院させる場合、なぜ精神科でなければならないのかと言われる方もたまにおられます。しかし入院されて症状が落ち着き、自宅に帰られる方もいますし施設に入所される方もいますが、入院治療でこんなに症状が落ちつくのかとびっくりされる方がたくさんいらっしゃいます。
精神疾患という疾病は、治療によって症状が安定し、回復もしますので、それを偏見でとらえてしまうと、いろんな社会的場面で誤解を受け、非常にマイナスな評価を下されることにもなりかねません。
心に耐性が必要な場合も
精神症状は時代を反映している面があります。最近は防犯カメラが町のあちこちにあることから、注察妄想のような症状を生じたり、LINEの既読マークがなければ我慢できない人々や、メールの文面を会話のようにとらえて余計な邪推をしてしまうなど、これまでになかった現状があります。インターネット空間という複雑な広がりの中で、家に引きこもっていてもSNSで外部とつながっている人もいますから、全部が病気であるとは限りませんが、いろんな障害が混じっている場合もあるので、社会に微妙な誤解が生じていることもあります。また、自分の疾患に気がつかないまま、逃げ場のない社会で悪循環に陥っている人もいます。そこをいかにうまく受診してもらうかについては一般の方々への啓発活動が非常に大事です。幸いなことに久留米市は、久留米大学神経精神医学講座の内村直尚教授がうつ病の早期介入について尽力されていますし、ほかの疾患についても、複雑化した社会の中で急ハンドルは切れないにしても、少しずつ健康な行動を学習してもらうことなども私たちの仕事だろうと思います。
若い人の自殺については、私などは小さな外傷体験の積み重ねで耐性が付いているわけですが、最近の人は保護され過ぎて強靭さを学べず、未熟なまま社会に出て、職場で初めてしかられて落ち込み、うつ状態になってしまう。そんな人が結構います。小さなトラウマ体験が少なく、ストレス耐性が不足しているのかもしれません。
自分に何が必要なのかと、職場での問題点を洗い出し、リワークプログラムに参加することで、早めに職場復帰してもらうことが大切です。
多様性の生かせる社会へ
高度経済成長の陰で埋没して認識されなかった精神疾患が、最近の低成長で表在化してきた面はあるかもしれません。
そのことを世の中が問題視し、心の病気にも目を向けなければいけないという意識が出てきていると思います。日本人は精神の話になると、根性論みたいなものが出てきやすいので、いい案配のところにリセットされたらいいでしょうね。
人の多様性を生かしながら、個人主義との微妙なバランスの中で、社会的に弱い立場にある人でも生活しやすい世の中になればと思います。
大阪で生まれ育って北九州市の産業医科大学で学び、同大学病院で小児科医をしていました。博士号を取ったあと留学の予定も決まっていたのですが、義理の叔父がこの病院の先々代理事長で、当院へのお誘いがあり、平成8年に聖ルチア病院
当時は鼻っ柱が強くて何でもできると思っていたのですが、精神科医療に携わってみると心の領域はとても面白く、心身は分けて考えることは出来ないと実感しました。
九州に来た時は文化の違いに驚きましたが、食べ物はこちらのほうがおいしいし、浪速のおばちゃんみたいな人は少なくて、女性はみんな丁寧でやさしく、特に久留米は、よそから来た人に対して懐の深さを感じます。久留米大学の内村教授をはじめ、多くの同門会の先生方にもよくしてもらっています。ただ、小児科医だった時にもっと病気の子供を持つお母さんの気持ちをくんであげればよかったという悔いは、今もあります。