医療法人菊野会 菊野病院 副院長 菊野 竜一郎
病院の玄関前に「きくの湯」という足湯があった。職員からの提案で10年くらい前に作ったそうだ。患者だけでなく地域住民にも開放しているという。院内の浴室も、患者用と職員用のどちらも温泉で、リハビリ用プールも一部温泉水を使用している。通常のリハビリだけだとつらいが、温泉を楽しめるプールはとてもよろこばれているそうだ。
当院は明治23年に祖父菊野精三が開設しました。当時、祖父は馬に乗って往診していたそうです。
母に聞いたのですが祖父はとても話好きで、往診に行くとなかなか帰ってこなかったそうです。
私は整形外科が専門で、東京にいた時は外傷を中心に骨折の患者さんの治療、リハビリがどうやったらうまくいくかをいつも考えていました。こちらに戻ってくると患者さんに昔からの知り合いが多くいたので、率直に骨折の手術、治療、入院について説明することが出来ました。
骨折の治療はもちろん、その前段階である予防について考えた時、骨粗鬆症に興味を抱き、勉強を始めました。骨折の発生はとても多いですが、まず予防が重要です。
―医師の家系で医者になるのは自然な流れでしょうか。
小、中学生のころは病院を継ぎたいと考えていましたが、高校で吹奏楽をやるうちに音楽関係の仕事に就きたいと考えたこともありました。結局、医者になりましたが、最初の3年半くらいはやる気が起きず、漠然とした日々を過ごしていました。
そしてある学会に出席した時、整形外科手術で使う体内で溶ける吸収性スクリューの存在を知りました。「こんな物があるんだ」と目からウロコが落ちたのを覚えています。それからは整形外科の仕事が楽しくなりました。骨粗鬆症と吸収性スクリューの勉強は今後もライフワークとして続けていこうと思っています。
自分のやりたいことが見つかるまで3年半を要したので、若い看護師には「石の上にも三年、は間違いでそれ以上かかることもあります」と言っています。
地域の学校で吹奏楽と関わりを持つようになって感じるのは、人にはそれぞれの特性があることです。自分の好きなことを早く見つけ、それに気づいてほしいと思います。埋もれてしまった職員の特性を見抜いてあげることも副院長の仕事の一つだと思っています。
―医師、看護師確保の取り組みについて。
医師、看護師とも確保に苦労しているのが現状で、看護師は通年で募集しています。
地方には地方ならではの良さがありますが、やはり東京、大阪など大都市は活気があり、若い医師には魅力的に映ると思います。まずはハード面から魅力的な空間づくりをして、働きやすい環境にすることで、医師、看護師の確保がスムーズになることを願っています。
今年の春に新棟を建て、1階は通所リハビリ、2階に職員用ラウンジを作りました。おしゃれなカフェ風の雰囲気で、図書コーナーを併設し、職員会議もそこで行なっています。
京セラの稲盛会長を描いた「稲盛和夫最後の戦い」を読みましたが、それによると、稲盛会長はJALの再建を引き受けた最初の会議で、「職員が満足する会社を作ろう」と言ったそうです。その場に居合わせた幹部たちは経営再建がテーマだと思っていたので、あっけにとられたそうです。稲盛さんは、職員が精神的にも物質的にも満足をしている会社は経営がうまくいく、現象をいかに突き詰めても根本を改善しなければ問題は解決しないと言っています。これは病院にも当てはまります。
―これからの高齢者があるべき姿は。
4年前に鹿児島でねんりんピック(主に60歳以上が対象のスポーツイベント)があり、医師会からの依頼でサッカー大会のドクターを務めました。試合を見て衝撃を受けたのは、高齢者が生き生きと走り回る姿でした。
スポーツに真剣に取り組んでいる高齢者は目標があって元気です。若いうちに楽しめるスポーツに出会い、ずっと続けられる社会の到来が理想です。その手助けをできれば幸いだと考えています。