今年1月1日から整形外科学教授を担当している。初代の鈴木勝己教授、第2代中村利孝教授に続き3代目。出身は大阪府泉南郡。言葉の端に関西弁がのぞく。超多忙な合間に市内の弓道場に行くという。学生時代から続けており、「静寂で孤独、その非日常的な空間で、的を射た瞬間のパン!という音に日ごろのすべてが消える」と言う。どんな教室にしたいかを中心に聞いた。
―教室の魅力は。
活気のあふれる医局にすることがまずあります。診療としてはモットーが3つあり、1つは地域の先生方から信頼されること、2つ目は新しい技術をどんどん取り入れたい。さらには難治疾患に挑戦してゆくということです。
これらには技術と若いエネルギーが重要ですから、医局に活気が必要なんです。
初期研修と後期研修の6年間は全身を診られる整形外科医として育て、7年目以降は、自分の興味あるところ、自分に向いているところで専門性を身につけてもらいます。
だからジェネラリストというよりもスペシャリストです。特に北九州地区のような都市部においては専門性が求められますから、それに応えられ頼られる医者を育てて行く方針で教育しています。
―高齢社会と整形外科との関わりは。
どんどん強くなると思いますね。日本の医学会や厚労省が目指しているのは、健康寿命を延伸させるということです。自立した生活の期間をいかに伸ばすかがいちばん重要になってきます。それに最も貢献できるのは整形外科だと思っているんですね。自分で歩いてトイレに行き、お風呂に入れる、自分の手で食事ができる、それを死のぎりぎりまでできるようにする。そのことへの貢献度は非常に高いと思います。高齢化社会で整形外科の果たす役割は増える一方だと思います。だから私たちも、高齢だから手術しないということはないわけです。暦の年齢は関係ないんです。
日本整形外科学会としてはこれらを「メタボの次はロコモ」として、国民に広く知ってもらいたいわけですが、認知度は少しずつ上がっているとはいえ、なかなか浸透していません。寝たきりになるなど運動器の障害が及ぼす影響について、整形外科医としてもっとアピールしていかなければと思っているんです。
―日本人は「安静に」と言われると横になり、そして起き上がれなくなります。
そこははっきりと言わなければいけないですね。「安静に」というような言葉ではなく、臥床が本当に必要なのかどうかを。寝てしまうと筋肉量や骨量の減少が激しいですから、我々は、「痛みに応じた生活をしてください、痛みの許す範囲で動いた方がいいですよ」とよく言います。痛みは本人にしか分かりませんから、それ以上はどうこう言えないんです。
―あるべき整形外科医像は。
整形外科医である前に医師であるし、医師の前に人間ですから、良い整形外科医になるには良い医師でないといけないし、そのために良い人間でなければいけない。だから「人の痛みが分かる」ということがすべてに必要です。そこをベースに、たえず努力することです。技術を磨き、知識を身につけ、この両方が欠けてはならないと思います。頭でっかちでも手足が動くだけでも困ります。そしてそれをいつも最新のものにリニューアルする努力も大切ですね。
―なぜ医師になろうと。
誰でも社会貢献を考えて社会人になると思うんです。私は父が勤務医をしていたこともあり、医療の道で人の役に立とうと思いました。父親を見て、医者がいちばん貢献できそうだと思ったんです。親が子供に与える影響は大きいですね。親から医者になれとは一度も言われませんでしたが。
―お薦めの書籍は。
個人的には司馬遼太郎が好きですね。「竜馬がゆく」なんかどうでしょう。大河ドラマにもなりましたが、あれを読むと時代を変えてやろうというようなモチベーションが高まったり、若いエネルギーをたき付ける何かがあるんじゃないでしょうか。
―医師を目指す人に助言を。
今ある明確な目的、強い動機、その初心を忘れないことだと思います。
医療界に入るとそれを忘れがちになり、流されることもあるでしょうが、たまには原点に戻って、なぜ自分は医者を志したのかを思い起こす。それをくり返してほしいと思います。そのために、私に弓道があるように、非日常なことでリセットし直し、自分を取り戻す時間が大事なんじゃないかと思います。自分自身の健康を失っては、患者さんとのいいコミュニケーションも取れないし、いいアドバイスもしてあげられません。
自分の心が健康であること、そして初心を忘れないことは、医者にとってとても大事なことだと思います。