株式会社麻生 飯塚病院 取締役/院長 田中 二郎
院長室には段ボール箱が積んであった。6月27日の株主総会で議決されて、退任する予定になっているためだ。「今後も現場の医師として、筑豊の医療に関わっていくつもり」。超高齢化社会でも人々が安心して暮らせるケアシステムづくりに参画したいと話した。
「自分をリハビリして現場に戻ります」
―なぜ医師になろうと思ったんですか。
自分の体が強くなかったからです。小さい時から、気管支ぜんそくなどでたびたびお医者さんのお世話になっていましたからね。親が医者だったわけではなく、ご恩返しをしたいという気持ちがあったんでしょうね。お世話になった先生のことは今でも覚えています。
だから、今からもう一度現場に戻って、ご奉公しようと考えているところです。
院長になってから14年が経っていますので、どれだけやれるか分かりませんが、院長職から医師へリハビリして、もう一度自分を見直そうと思っています。
―超高齢社会にもっとも必要な医療の手立ては。
その解、答えが見つからないから、探しにいこうとしているんじゃないですかね。
私が小さいころの先生のようにそのままやれると思わないし、進歩かどうか分からないけど、一方的に専門化してきて、私も心臓外科で専門性が非常に強いんですが、それだけでずっとやれないように感じるんですよね。
ものには限度があるというか、そこらの折り合いをどうつけていくか、政府も悩んでいると思うんですけれども、現場でも、このままではいずれ破綻、パンクするだろうなと感じるんですよ。
そこらへんの解決法を、誰かが探さなければなりません。そのつなぎのところですね。専門性から、在宅への道があるのかないのか。元気になって帰る人はいいんですけど、自信がない人たちをどうサポートしてあげるかですね。
人の人生を医療だけでまかなえはしませんが、ほったらかしにはできません。悩み、苦しみ、きつい思いをしている時は医療が関わらないとね。背中をさすってあげるだけでも安らぎは得られるんですよね。誰かがそばにいてあげる、そこが医療の基本、原点だと思うんですよ。
一人で何でも悩み苦しまなければならないのでは、それこそ耐えられないですよ。私自身、退任を前にして人間ドックを受けて、胃カメラを飲んだんですけど、ナースが背中をさすってくれるんですよ。それだけでもずいぶん安心感があって、これだな、と感じましたね。誰かが介助、介在してくれることはとても大切です。
病院の中ではそれを提供していると思いますが、地域に戻ったあと、誰がどうやってくれるのか、転院したあとどうなるのかとかが気になりますね。家族は助けてくれる状況なのかとか。今後はそこも探っていきたいです。年々深刻になっていきますからね。
―緩和ケアの状況は。
当院は昨年の8月から緩和ケア病棟をオープンして、ターミナルケアを提供しています。そこの職員たちは、ややもするとバーンアウトしそうなのを乗りこえながら、患者さんの満足のために歯を食いしばって働いています。私よりもその人たちや、緩和ケア科部長の牧野(毅彦)先生を600号の記事にしてほしいねえ。牧野先生はハーモニカがうまいんですよ。
昔は地域に「おがみやさん=祈祷師」という人がいました。あの人たちはみんな、人のつらい話を聞いてあげていたんです。緩和のナースたちも
それに似た面があって、本人や家族のいろんな苦しみを聞いて、受け入れ、しかし自分の心の底に沈み込ませずにうまく外に出していく。強いなあと思いますね。
―名実ともに筑豊の医療の中心です。
ありがたいことに県や国からいろいろと考えてもらい、急性期病院・教育病院として成果を上げています。ヘリポートも作るはずだったのですが、2001年の911同時多発テロ事件で、先行きが分からないという理由で計画が中止になりました。遠賀川の河川敷があるし、100mくらいしか離れていないので、そのままでいこうということに今もなっています。その分、ドクターカーに活躍してもらおうと、そちらに特化しています。
―院長として14年間貫いてきたものは。
病院の経営理念「WeDeliver The Best、まごころ医療、まごころサービス、それが私達の目標です」は当然のことで、個人としては「裃(かみしも)をつけている」ということはあると思います。つまり「形は心、心は形」ということです。医師、医療者は、気持ちをきちんとしておかなければなりません。形が崩れると心も崩れます。その筋はきちんと通していきたいです。
患者さんのためにベストを尽くし、一生懸命にやったという納得がなければ、心の深いところに一生残ります。だから職員にはベストを尽くしてほしい。
―医師を目指す人にひと言。
医師になって後悔はしないと思います。
どの科に進もうと、そこには夢があります。地平線や水平線を見ながらチャレンジすれば、乗りこえた時のよろこびは必ず得られると思います。
私は医師の仕事しか知りませんが、経験から言うと「チャレンジする場所は必ずあなたに用意してある」と言いたいです。
―筑豊の魅力は。
大学は鹿児島で、筑豊を外から6年間見ました。鹿児島ではよそ者ですから、帰ってきたら温かい感じがします。まあ一口では言えないですね。
―14年間を振り返って。
いろんなことがありました。そしてどれも、私一人ではやれないことでした。だから、関わりのあった方々すべてに感謝していますとお礼を述べたいし、これからもよろしくとも言いたいです。