川崎医科大学附属川崎病院 病院長 角田 司
■所属学会 日本外科学会特別会員 日本消化器外科学会特別会員 日本消化器病学会功労会員 日本胃癌学会 日本肝胆膵外科学会特別会員 日本胆道学会名誉会員 日本膵臓学会名誉会員 日本癌治療学会功労会員 国際膵臓学会(IAP) 国際消化器外科学会(ISDS) 国際外科学会(ICS)国際肝膵胆道学会(IHPBA) 米国癌学会(AACR)
学校法人川崎学園は、川崎医科大学附属川崎病院の新築移転のため平成24年2月、岡山市北区の岡山中央南(旧深柢)小学校跡地にかかる事業用定期借地権の設定契約を岡山市と締結した。移転先は市内の中心部で、現病院から50mほど南。旧城下町にあたり、工事の前に埋蔵文化財発掘調査が行なわれ、伊万里焼や唐津焼、茶道具、鬼瓦などの文化財が出土したほか、江戸時代の水路や井戸の遺溝が発見されている。昨年9月に起工式が行なわれ、準備工事の後12月に着工した。平成28年に竣工予定。
川崎医科大学附属川崎病院は昭和14年、川﨑祐宣名誉理事長(故人)によって現在地点に外科川﨑病院として開設された。戦時下の空襲で一度は全焼したが昭和21年に再建し、川崎学園設立の母体となった。
昭和46年に現病院名に名称を変更。平成23年、病院を運営していた㈶川崎医学振興財団の解散に伴い、川崎学園が病院事業を承継し、名実ともに川崎医科大学の附属病院となった。以後、不足している専門領域の教授・准教授の公募を行ない、全国から臨床に強い医師の確保をした。市街地にあるためコメディカルの募集に苦労は少なく、人材がそろっており、地域に医療を提供するという意味では問題ない。しかし、教育や先進医療を十分に行なうには、築後数十年の建築物が妨げだった。
敷地に余裕はなく、増改築の難しさが、今回の新築移転につながる。
昨年4月、川崎医科大学附属病院長だった角田司氏が院長として着任した。
角田院長は平成12年から約10年間にわたる川崎医科大学附属病院(倉敷市)の増改修工事の間も院長で、学園のビッグプロジェクトにずっと関わってきた人物だ。
「移転用地は小学校跡地で、小学校の移転のため広い土地を一度に確保できました。院内ではずっと待ち望まれていたことで、職員の士気も向上しています」と、院長は話す。
新病院は、鉄筋コンクリート造と鉄骨造の地上15階(高さ70メートル)、地下2階の免震構造。延べ床面積はおよそ7万8千㎡で、これは現病院(約2万3千㎡)の3.3倍にあたる。
病床は個室と4人部屋のみで構成された704床の計画で、うちICUとHCUが計24床、SCU15床、NICU12床、回復期リハビリテーション病棟が54床の予定。
地下に収容台数約280台の駐車場を作るほか、屋上ヘリポートや約200席の多目的ホール、25のカンファレンス室のほかに地域住民も利用できる集会室を備える。
「歴代の理事長は皆さん消化器外科出身で、私も消化器外科医です。移植は行ないませんが、伝統的に消化器外科に強い病院です。しかし他の部分が弱いわけではありません。川崎医科大学附属病院と比べ附属病院としては不十分な部分もありましたが、今後は教育機関としても強化されます。収益ではグループに大きく貢献できると思います」と院長は言う。
「初代祐宣先生は、第七高等学校造士館(官立旧制高等学校で、鹿児島大学の前身の1つ)の出身で、岡山市に来て開業されましたが、たいへん地の利のある場所を選ばれたと思います。また開院以来、祐宣先生が掲げられた『病院は患者のためにある』という信念が、グループを大きくしたのだと思います。今後もその遺志を受け継ぎ、地域のための病院を運営していきます。私は20年間長崎大学にいましたが、ポンぺ(長崎大学医学部の前身である、長崎奉行所西役所医学伝習所で、医学教育に尽力したオランダ海軍の軍医)も同じようなことを言っています。そういう精神を岡山の若い医療人に、これからも伝えていきたいですね」と院長は語った。
- 【学校法人川崎学園】
- 倉敷市に本拠を置く学校法人。川崎医科大学、川崎医療福祉大学、川崎医療短期大学、川崎医科大学附属高等学校の学校施設を運営するほか、川崎医科大学附属病院、川崎医科大学附属川崎病院、現代医学教育博物館などを運営している。倉敷市中庄駅近辺は、学園の施設群で都市の様相をていしており、地域に大きな経済効果をもたらしている。