独立行政法人 労働者健康福祉機構 岡山ろうさい病院 院長 / 岡山大学名誉教授 清水 信 義 3月に勇退
昨年5月、岡山市南区に、岡山労災病院の新棟が完成した。院名も一般向けには「岡山ろうさい病院」と変え、親しまれる病院を目指している。外来の壁面は診療科別に、マスカットなど果物が色鮮やかに描かれた。「落ち着いた感じではなく、元気が出る色を選んだ」と院長は話す。各階の病棟は南北に分け、南側をオレンジ病棟、北側をグリーン病棟と名付けた。病棟では優しい色づかいで、患者に安らぎを与えている。
昭和30年、労働災害の増加に対応するため、岡山労災病院は30床で開院した。
翌々年には250床に増床し、昭和46年には401床と規模を拡大。診療科も増やした。昭和48年からは看護学校を併設するなど、労災病院としての機能を高めた。しかし時代は移り、労働災害を中心に診療していては、大病院を維持することができなくなった。
工業地帯だった病院周辺も、岡山市のベッドタウンになる。病院は一般の総合病院となることを余儀なくされた。
現在も勤労者医療を疎かにしているわけではない。労災が中心だったころの名残で、整形外科は今も力を入れており、入院患者の3分の1はこの分野だ。人工関節置換術では中四国で有数の手術件数を誇る。アスベスト疾患に関しては研究施設も持っている。労働災害に関しての受け入れ態勢は万全だ。
しかし現在20の診療科を標榜しており、「労災病院」という認識は、地域住民にほとんどない。
岡山市内には巨大病院がいくつもあるが、市街地周辺に集中しており、岡山ろうさい病院以南の広い範囲に総合病院はない。また、玉野市からの患者にも対応している。立地条件のため、総合病院としての重要性が高まった。
岡山大学病院の病院長だった清水院長は、退官した平成20年の4月に就任した。
就任の年にまずICUを8床作り、収益を大きく上げた。翌年からは皮膚科の新設や7対1看護体制へ移行するなど経営を安定させている。
平成24年4月にはがん診療連携推進病院になり、同年7月に化学療法センターを新設。また消化器内科、腫瘍内科を新設した。「それぞれの診療科に魅力的な科長をそろえることができたので、医師集めの苦労は少ない」と院長は語る。
(上)3月9日に行なわれた退職記念パーティーの様子。元岡山大学病院長の荒田次郎名誉教授が乾杯のあいさつをした。(下)南側より撮影。左奥に見えるのは、今後取り壊される予定の旧棟。現在もまだ一部工事が続いている。
診療機能を高める一方で、医師事務作業補助体制や保育園の設置など、職員のアメニティにも気を配った。
平成22年にはPACS(画像を電子化し管理することで、フィルムレス化される)を導入し、コストダウンにも気を配った。そして一番の大仕事が、総事業費約65億円の新棟建設だった。
総病床数は358床。手術室は7室あり、うち2室は無菌室。ICUを10床に増床し、HCUも8床開設した。化学療法室を11床に増やし、内視鏡検査室にも広いスペースを確保した。リニアック、CT、血管造影装置などを最新機器に一新したほか、電子カルテも導入している。快適な入院環境を目指し、個室率は54%だという。
現在も増改築工事は続行中で、最終的には今年10月に完了する。検診やリハビリテーションのための施設ができる予定。「新棟ができて、患者さんが増えました。特に認知された10月以降が増えています。病棟の利用率は常に90%を超えています。また、職場としても環境が整えられたように思います」と院長は話す。
「今後は駐車場を広くするため看護学校を北側に移転させます。また、路線バスの停留所を病院の敷地内に作りたいと思い働きかけをしています。3月で退任しますが、ある程度のメドがついたので、後は後任の方にお任せいたします。これからはゆっくり過ごせます」と続けた。