医療法人猪鹿倉会副理事長 パールランド病院 院長 猪鹿倉忠彦(鹿児島市医師会会長)
パールランド病院は、昭和63年に地域医療、特に認知症疾患や高齢者慢性疾患で入院加療が必要な、高齢者のための医療を専門とする病院として開院。病床数は400床で、内訳は療養病床が100床、精神病床が300床、そのうち200床が認知症疾患治療病床だ。
1989年に厚生労働省が、将来の高齢化社会に向けてのゴールドプラン(高齢者保健福祉推進10カ年戦略)を制定しました。当院も指針に基づき、廊下の長さや幅の改修、徘徊対策のために回廊式の病棟を造りました。 開設当初は、軽い認知症の患者さんが多かったですが、最近はグループホーム、介護施設、在宅が充実していて、中程度以上の認知症の患者さんが増えています。
徘徊、粗暴、興奮、幻覚妄想などの周辺症状が重度の患者さんや、認知症の程度を問わず、肺炎や末期がん、脳梗塞などで急性期状態を脱した患者さんを鹿児島だけでなく県外からも受け入れています。大阪、神戸、四国、福岡、熊本、鹿児島県内の離島では甑島(こしきじま)からも来ています。
昨年の12月21日に認知症疾患治療センターの指定を受けました。基本的なスタンスは、これまでと変わりませんが、認知症について地域住民や医師への講演会、地域包括支援センターとの連携に今後も力を入れていきたいと思っています。
鹿児島県では当院のほかに、谷山病院も認知症疾患医療センターの指定を受けていますので、情報共有と連携を密にしていきたいと考えています。
認知症の患者さんは増加の一途をたどり、現在450万人を超えています。しかし決して治らないわけではありません。アルツハイマー型や血管性の認知症は治すことがむつかしいですが、早くケアすれば治る、あるいは進行を遅らせることができる場合もあります。それをいかに早く見つけるかが我々に課せられた使命です。
当院で患者さんを抑制することはありません。意思をくみ取る治療が重要で、症状がひどい場合には精神安定剤や睡眠剤を使用することもありますが、ごく少量に抑えるようにしています。
夜はしっかり眠ってもらい、昼間はリハビリ、食事、入浴、他の患者さんとコミュニケーションを取るなど、一日にリズムを付けてあげます。
入院時には家に帰りたいと騒いだり、夜間に眠らない患者さんも徐々に状態が落ち着いてきます。 状態が良くなっても、ご家族からもうしばらく預かってほしいという要望もたまにあります。何か月か経てば退院しなければいけないシステムではありませんので、退院の準備が整うまで責任を持ってお預かりするのが当院のポリシーです。
ご家族の心のケアも重要です。高齢者への虐待が近年問題となっていますが、介護疲れからストレスがたまり、不意に暴言を吐いたり手をあげたりするケースもあります。しかし、事情がよくわからない場合も多く、認知症患者さんの症状とご家族の介護の状況を勘案して、しばらくお預かりしましょうかと提案をし、ご家族に息抜きをしてもらうように留意しています。
高齢者夫婦の世帯だと介護疲れで倒れてしまうご家族もいます。鹿児島県は高齢者単独世帯や高齢者夫婦世帯が多く、全国で上位なので、地域での気配りと支援が大切です。
介護中心の病院では多様な診療科や職種の連携が必要です。当院は、内科、神経内科、精神科、歯科、リハビリテーション科を標榜しておりますが、外科医も常勤しています。また、地域の病院から整形外科医が週に一度、眼科、皮膚科の医師は月に一度来てもらっています。
―かごしま子育て応援企業に登録していますね。
開院当初からスタッフのための院内保育所を設置しています。24時間運営で、現在40名のお子さんをお預かりしています。育児・介護制度の充実、平成19年度からは男性の育児参加の促進にも取り組むなど、職員のワークライフバランスの充実を心がけています。
院内のレクリエーションに園児が来て、患者さんたちの前で遊戯をするなどの取り組みもしています。院内保育所で1歳のころから預かっていた子が大人になって看護師になり、当院で母親と一緒に勤務している例もあります。
―ロビーのピアノは使うのですか。
音楽療法として毎週土曜日にロビーコンサートを行なっています。ボランティアの方が来て、ピアノ、ギター、バイオリン、フルートなどの演奏をしますし、当院にも「パールバンド」というグループががあり、1時間ほどコンサートをしています。
―昨年から鹿児島市医師会会長を務めていますね。
理事になったのが2004年で、3年前に副会長、そして昨年会長に就任しました。医療は公のものなので、市民の安心・安全を維持するという理念のもとにがんばっています。会員は千500名弱で、入会率が90%以上と全国でトップクラスです。いろいろな科の先生が会員なので、同じ山でも見る角度によって見え方が違うように、共通理解を得るのはむつかしい面もありますが、会員のためにどうあるべきかを常に考えています。
私はまだ50歳そこそこで役員としては若い方ですが、医師会の執行に携わる理事や事務局の皆さんの支えに感謝しつつ、同じ市医師会の理念の下、皆で力を合わせ真摯に臨んでおります。