臨床心理士の想い20 坂梨 圭

  • はてなブックマークに追加
  • Google Bookmarks に追加
  • Yahoo!ブックマークに登録
  • del.icio.us に登録
  • ライブドアクリップに追加
  • RSS
  • この記事についてTwitterでつぶやく

患者になる⑦

 患者になるシリーズを書き始めると、忘れていたことをいろいろ思い出す。前意識にあったことを思い出し、言語化する作業である。その前意識は、言葉ではなく映像として記憶され、感情もついてくる。

 思い出について何人かに尋ねたことがある。その思い出は「カラーか白黒か」と。また、「その映像には自分は写っているかいないか」。二つとも半々だった。

 自分が見たままを記憶するのであれば、その記憶はカラーであり、自分は映っていないはずである。しかし、長い年月、脳の中に入れておいた記憶はいつの間にか変わっているのである。皆さんの記憶の仕方はどちらだろうか。脳科学者にどのような仕組みかを尋ねたい問題である。

 さて「患者になる」の話。もう30年前のことだが、一度だけ入院したことがある。プールで泳いだあと目が充血し、かゆくなった。流行性結膜炎だと思って近隣の眼科で治療を受け、目薬をもらった。しばらくしたら治るだろうと思っていた。

 週に1度その眼科に通い、洗眼と治療を受けた。でも1か月が過ぎても、一向によくならなかった。医者にそう話しても「大丈夫です」との返事だけだった。しかし、眼の調子は一向に改善されなかった。今のようにセカンドオピニオンという考え方もなく、医師の力量を見極める「眼力」もなく、その眼科医を信じるほか手立てはなかった。

 1か月を過ぎたころには、車の運転をしていると視界がぼやけ、運転さえもできない状況になっていた。その眼科に行く途中だったが、意を決して総合病院の眼科に行った。病院に行く途中も目がかすみ、事故に遭わないか冷や汗を流しながら運転したことは、今でも鮮明に覚えている。

 何とか受付を済ませ、診察を待つ間も、涙と目やにが止まらない。私の順番が来て、高齢の女性医師が診察をしてくれた。

 第一声は、「どうして、こんなになるまで放っておいたのですか」という驚きの言葉であった。そして「角膜に炎症が起きています。これでは見えなくなるのは当然で、あと少しで失明したかも知れません。すぐに入院してください」との言葉であった。

 驚きを禁じ得なかった。眼科に定期的に通い、薬も飲み、目薬も指示通りにさしていた。どうしてこんなことになるのか。

 「すぐ自宅に電話して、入院の手続きをするように家族に話してください」との指示で、かすんだ目で公衆電話から自宅に電話をし、その直後から、入院生活に入った。

 頭が動かないように両方から固定された入院生活が2週間続いた。テレビを観ることも本を読むこともできない。大部屋だったが、人との会話もできないつらい状態だった。さいわい、快方に向かい、視力も元に戻った。それが、人生唯一の入院である。

 医師を信じることは大切だが、信じたために危ない眼にあった。今ならどうするだろう―医師の力を見極める、自分に合う医師を見つける、セカンドオピニオンを探す―。患者には情報と勇気が必要なことである。

 ある医師は私に言った。「本当に力のある医者は患者からセカンドオピニオンを申し出があった時、『それがよいでしょう』と笑顔で言うだろう」。私たち臨床心理士もそうありたいと思う。


九州医事新報社ではライター(編集職)を募集しています

九州初の地下鉄駅直結タワー|Brillia Tower西新 来場予約受付中

九州医事新報社ブログ

読者アンケートにご協力ください

バングラデシュに看護学校を建てるプロジェクト

人体にも環境にも優しい天然素材で作られた枕で快適な眠りを。100%天然素材のラテックス枕NEMCA

暮らし継がれる家|三井ホーム

一般社団法人メディワーククリエイト

日本赤十字社

全国骨髄バンク推進連絡協議会

今月の1冊

編集担当者が毎月オススメの書籍を紹介していくコーナーです。

【今月の1冊, 今月の一冊】
イメージ:今月の1冊 - 88. AI vs. 教科書が読めない 子どもたち

Twitter


ページ上部へ戻る