医療事故と法律(7)
今回はちょっと視点を変えて、アメリカでの医療過誤刑事裁判の状況を見てみましょう。
二〇〇九年六月のマイケル・ジャクソンの死亡が、主治医コンラッド・マーレーによるプロポフォールの不適切な投与によるものだったというニュースをご記憶でしょうか。この事件で、マーレー医師は、禁固四年の実刑判決を受け、昨年秋に模範囚として早期出所を果たしました。過失致死罪という報道もありましたが、正確には「非故意故殺」という罪名だったようです。
アメリカでは、殺人罪は大きく「謀殺」と「故殺」に分けられています。ざっくりいえば、「謀殺」は保険金殺人などの計画的犯行で、「故殺」はそれ以外の殺人。ただし、「故殺」はさらに「故意故殺」と「非故意故殺」に分類され、「非故意故殺」は「合理的一般人が同一の状況で払うであろう注意の標準からの著しい逸脱」を伴って人を殺害する場合と説明されています。おそらく、日本の刑法上は殺人ではなく過失致死として扱われる類型であり、その意味ではマーレー医師の罪名を過失致死罪と報道したのは間違いではありません。
但し、以上のような分類はあくまでも学問的なものであり、実際にどのような場合に処罰されるかは各州の刑法によって異なるようです。特に、過失によって人を死亡させた場合の刑事責任についての考え方は多様です。最も多くの州で採用されているのは、「無謀」による死亡の場合を非故意故殺とし、それ以外の一般的な過失を過失致死とする考え方で、たとえばニューヨーク州では前者を第C級重罪、後者をE級重罪としています。カリフォルニア州法は、過失致死を明文で規定せずその解釈を裁判所の判断に委ねる立場であるとされていますが、マーレー医師の場合には、そのような一般的な過失ではなく、「非故意故殺」が適用される重大な過失と判断されたようです。
アメリカでは医療過誤は刑事処罰の対象にならないという人たちもいますが、マーレー医師のケースでも明らかなとおり、それは間違いです。特に一九八〇年代以降、アメリカでも刑事医療過誤事件が増加傾向にあります。過失致死罪が認められたものでは、自宅出産に立ち会った医師が、新生児が未熟児で呼吸障害が認められたにもかかわらず母親に適切な指示を与えずに帰宅して、新生児が死亡したというウォーデン・ケースが有名です。また、低カリウム血症の患者に対して塩化カリウム水溶液を短時間で静注して死亡させたウッド・ケースは、第一級謀殺という最も重い殺人罪で起訴されましたが、非故意故殺での有罪判決が下されています。
法制度全体が違うので単純な比較はできないのですが、一九八〇年代に入って刑事医療過誤事件が増加してきた背景には、おそらく、従来のパターナリズム的な医師患者関係が、七〇年代以降、インフォームド・コンセントに基づく対等な関係へと変容していったこと、医療技術の発展に伴い重大な結果を生ずる事故が増加して医療安全に対する社会的関心が高まったことなど、日本の一九九〇年代以降の状況と通じるものがあるのではないでしょうか。
アメリカ医師会は、医師に対する刑事訴追に反対する旨の声明や決議をたびたび採択しているそうです。
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