- 今月も多くの大学教授や元教授と話をした。大学教授はみな、臨床と研究の両面に秀でた医師だ。だが、実際に会った場合の印象は、それよりも教育者としての側面の方が強いように感じる。多くの病院長が、優れた医師でありながら、経営者やリーダーとしての風格を漂わせているのと同じだろう
- 弊紙発行日の12月20日は、近代外科学の祖とも評されるアンブロワーズ・パレの命日だ
- パレは正規の教育を受けておらず、ラテン語で論文も書けなかったが、臨床の分野で工夫をして、フランス国王の侍医頭にまでなった
- 優れた業績を残した偉人だが、厚い教育を受けていれば、もっと早くに頭角を現したかも知れない
- 先々月姉妹紙の取材で、久留米大学の福本義弘教授に嬉しい話を聞いた。若い医師が活躍した話だ
- 福本教授は山口県柳井市の出身。東北大学に勤務していた時に震災を経験し、電気や物資がない状態で診療を行なったそうだ
- 教授は「若い医師は機器頼りだと非難もされますが(中略)医師を志した人ですから、その場になればなんとかするものです」と述べ、普段の診断・診療の腕を磨く大切さを語った
- とはいえ、現在の医療が医療従事者のみの努力で進歩しているわけではない。昨今、医工連携という言葉を聞く機会が増えた。工学の発展が、医療の発展に大きく貢献している
- しかし工業を底辺から支える職人の世界では今、後継者不足に悩む熟練工が多いという。我が国自体にとって良いことではない
- 「見て覚えろ、技術は盗め」という教育が原因だと指摘する人もいる。「旧態依然とした徒弟制度」とまでは思わないが、分かりやすく指導することは大事だろう。教育の難しさを考えさせられる
- 良い職人が良い教育者でなくても良い時代ではなくなったようだ。大学教授たちが教育者である理由も、自分の診療を見せるだけでは、医師が育たないからかも知れない。