独立行政法人国立病院機構九州がんセンター 院長 岡村 健
九州がんセンターは新病院の全面建て替えが決定し、平成23年度から設計を開始した。10月末日に地鎮祭を終え、現在は本格的な着工に向けて工事車両用の通路を整備したり、整地を行なっている。竣工に先んじて、電子カルテの導入準備も進めているそうだ。新病院は平成27年7月に完成予定。
前の部長がお辞めになり、私は当院の消化器外科を立て直すために呼ばれました。先々代の塚本直樹院長の時代です。
来る前は乳腺も診ていましたが、消化器外科部長としての着任です。病院経営が落ち込んでいる時期でしたから、患者さんの多い消化器外科を強化したいということでした。
その後、診療部をまとめる職に就き、病院全体のことを見るようになりました。先代の牛尾恭輔院長の時代に副院長になり、その後の7代目院長が私です。
病院の建て替えの話は、私が来る前からありました。しかし経営上の問題などで長い間実現しませんでした。
私が院長になったころ、すでに築38年と、当時の建物の耐用年数に近づいており、雨漏りする箇所を修繕したりして使っていました。院長としての最大の仕事は病院の建て替えだと思いました。しかし当然課題がありました
一つは黒字が小さく、過去の借金が返せない経営状態だったことです。収入と支出がほぼ同じで、「とても無理でしょう」というのが機構本部の判断でした。
もう一つは、当時の機構本部は病院の同一敷地内での全面建て替えを認めていなかったのです。外来はあまり利益は出ませんから「病棟を建て替え、利益が出たら外来棟を建て替えなさい」という方針です。リスク回避の観点からは有効だと思いますが、機能的な病院を作るなら、全面建て替えの方が圧倒的に優れています。同時に費用の面でも合理的です。全面建て替えにこだわる私には、機構本部の方針もネックでした。
ところがDPC対象病院になり、7対1看護を始めて、経営が大きく上向いてきました。この2つの制度を年度を越えて計画的に導入したのが良かったと思います。次第に運がついてきました。
さらに当時の永島看護部長が私の考えを支持してくれたこと。また本部との交渉に長けた事務部長がいたことも、助かりました。経営改善はこの2人がいたからこそと言えるかも知れません。医師のキャスティングは院長の大きな仕事ですが、メディカルスタッフに優れた人を揃えるのは難しいことです。これは半ば運ですね。
もちろん肝心の医療がおろそかになってはいけません。医師も藤也寸志副院長以下、いい人がたくさん集まってくれました。内科の古川正幸統括診療部長は、仲原病院で一緒に仕事をしたことがあり、当院にぜひ欲しいと考えていた先生でした。病院の総合力で、経営が上向いてきたんです。みんなが建て替えに期待し、頑張ってくれました。
もう一つ運が良かったのは、当時の政権が「事業仕分け」を行なったことです。
機構本部は機構所属の各病院から拠出金を集め、プールしています。そこから必要な病院に分配するわけです。そのお金に財務省が目を付けました。貯めるのなら国税に入れよというわけです。
しかし機構本部としても、支援したい病院のための貯金ですから、そのお金を財務省に渡すよりは、病院を充実させることに少しでも使う方が良いと判断しました。それで病院建て替えの規制が大きく緩和され、全面建て替えを後押ししました。
全ての所属病院を一度に支援することはできませんから、当然償還計画は出せということでした。ですから、先ほど話しました先々代の泉事務部長と、当時企画課長だった森管理課長が中心となって、本部への書類を作成し、建て替えにOKが出たわけです。細かい数字を書いた計画書を我々医師が作れるわけではありませんから、事務部の力は大きかったと思います。計画を作るのに半年、機構本部が認めるのに半年ほどがかかりました。当時の政権で機構本部は大変だったようですが、当院の建て替えにはうまく作用したように思います。
人と共に、時運にも恵まれたという思いがあります。
院長になったばかりのころは、全面建て替えを認めてもらうことが目標でした。しかし設計や建設業者が決まるまでは、本当にできるのか心配でした。消費税が上がれば難しくなりますし、現状の税率で決まったのはよかったと思います。
それぞれの代の院長に、時代が課す役目があったわけですが、7代目の私の役割は新病院を建てることだと思って頑張ってきました。やっとそれが実現し始めました。ここまでやれたのも、「優れた職員たち」と「時代の運命」が味方してくれたおかげと感謝しています。今は新病院を見ることがとても楽しみです。(聞き手=平増、新貝)