院長1年目の野望と抱負 ~暮らしやすい高松市を他の医療機関と共に~

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独立行政法人国立病院機構 高松医療センター  院長 細川 等

1982 信州大学卒 香川医科大学医学部第一内科入局 1984 社会保険栗林病院内科医師 1986 香川医科大学大学医学部附属病院第一内科医員 1990 香川医科大学医学部第一内科助手 1993 米国Tufts University New England MedicalCenter 留学 2001 香川医科大学医学部附属病院総合診療部講師 2003 国家公務員共済組合連合会高松病院糖尿病センター医長 2010 全国社会保険協会連合会社会保険栗林病院内科部長 2011 高松医療センター統括診療部長 2013 同院長

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細川院長は今年の春、院長に就任した。高松医療センターの統括診療部長に着任して3年足らずのことだ。「まだまだ未熟。教えていただくことばかりです」と言うが、若さを生かした運営手腕で、地域との連携を強化している。市民の暮らしを支える医療機関として、何が最適かを常に模索している。

 普段から、出会った方たちとのご縁を大切にしています。私の人生において、どの場面にもかならず導いてくださる方々がいるからです。そのサジェスチョンに挑戦していくことで人生を切り開かせていただいていると思っています。

 医師になったのもそうです。もともと私は実家が兼業農家だったこともあり、農学部を志望していました。ところが高校3年生のとき、担任の先生から「医学部も受けてみたらどうか」と言われたことがきっかけで医療の道へ進むことになったのです。このころから、私の人生においてのチャレンジ精神が養われたのかもしれません。

 遠くの大学を卒業してから、そのまま大学の医局に残る道もありましたし、残れと言ってくださった方もいました。けれど、一番お世話になった方が親心で「故郷で恩返しをせよ」と言ってくださった。その言葉に導かれて、私は香川へ戻り、香川医大の医局に入ることになります。そして、そこで出会った恩師が、今の私を導いてくれています。当医療センターに赴任するときも、院長になるときもそうです。誰かの進言にあらがうことなく、それが自分の苦手な分野だとしてもありがたいと思って挑戦してきました。

 院長になってからは、地域の医療機関との連携に力を入れています。先日は、食事を兼ねた講演会を企画し、開業医の先生から大学病院まで140カ所に案内を出しました。講演については、あえて医療とは関係のなさそうな話。「まちづくり」をテーマにしました。高松市丸亀町商店街の再開発が近年の話題になっていたので、その中心人物である丸亀町商店街振興組合の理事長・古川康造さんに、市民が暮らしやすい・暮らしたくなるまちづくりについて講演いただきました。

 とくに印象的だったのは、高齢化が進んでいくなか、みんなに住みやすいと思ってもらえるためにどのようなまちづくりが必要かという話です。その話には、医療も大きく関係するのだと改めて思いましたし、これからの医療にもとても大事なテーマだと思っています。高齢者への医療問題も考えなければいけませんし、医療の提供のしかたも重要です。昔に比べると、医者にかかれば治って当たり前だという意識が定着しているように思えます。もちろんそうあるべきなのですが、その言葉をはき違えて一方的な医療になるべきではありません。患者さんと医師が一緒になって病気を治していくという意識づくりが必要なのではないでしょうか。その考え方は、まちづくりと通じるものがありますね。

 また、高松市は、狭いエリアに大きな病院が林立しています。ですから病院同士で少なからず競争や競合はあると思います。しかし、これからの時代は協力をしないとやっていけないだろうと思いますし、他の先生方もそうお考えではないかと思います。

 高松のエリア全体で医療環境を整えることで、このまちに住んでいる方々が暮らしやすいと感じてくだされば、高松市にどんどん人が増えるでしょうし、そうなることでますます医療環境も向上します。

 恥ずかしながら、そういう想いを他の医療機関のみなさまと共有したいという想いをもって、この講演会を企画しました。そういう意味では、まちづくりに貢献できる病院でありたいなという想いが強くなりました。当医療センターは国の機関ですので、威圧感があるかといえばそうではありません。なにしろ院長である私がまだまだ未熟な若造ですから、このような企画は、他病院の先輩方に指示を仰ぎながらやらせていただいています。そして、若造である私が東奔西走しながら縁の下から香川の医療業界を持ち上げていけたらと思っています。新米院長ならではの野望を話させていただきましたが、もちろんそんな力はまだまだありませんので、これから先輩方の力をいただきながら修行を積んでいくつもりです。

 当医療センターの目下のミッションは、これからドクターを増やしていくことです。私が赴任してきたときからすでに医師不足でしたし、赴任が決まったときにも先輩方に「大変だぞ」と言われました。しかし、私は学生時代から自分にとって大変だと思えた道にも挑戦してきましたので、逆境に強いのかもしれません。優秀なドクターの人員補充ができるよう、私自身が前向きにいろいろな医療機関や大学に出向いています。

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許可病床は、結核病床100 床、一般病床220 床の計320 床。昭和22 年に日本医療団から厚生省に移管され、「国立高松療養所」として発足。昭和49 年より病院になる。平成20 年から今の病院名に名称を変更した。

 ドクターの高齢化も課題です。今、常勤ドクターの中では年齢でいえば私が真ん中から少し上ぐらいなのです。毎年1人ずつ定年退職されるので、若いドクターにお越しいただいて新陳代謝を図らなければなりません。

 ですから、学生実習の受け入れにも積極的です。私自身、今まで長いあいだ大学病院で学生を教えてきましたから、慣れています。実習に来られた学生さんにはかならず院長である私と直接話をする機会を設け、コミュニケーションをとるようにしています。具体的には、各診療科に1名のドクターを増やしたいですね。

 若いドクターには、チャレンジ精神を持って人生を切り開いてほしいですね。たとえば、今、外科と産科が人気のない診療科となっています。

かつて外科は、エースが目指す診療科でした。それが今では、規則的に勤務できる診療科が人気を集め、過酷な勤務形態などのマイナス面がうたわれる外科は、少し人気が落ちてしまいました。けれど、守りに入らずドクターとしてチャレンジ精神で挑んでほしいなと思います。そして私たちは、若いドクターのチャレンジ精神を育めるような環境を整えていかなければなりません。

 趣味はサッカーです。中学時代から続けているスポーツで、大学時代もサッカー部に所属していました。練習はもちろんですが礼儀にも厳しい部でした。

 そのころ身につけた教えは今も体にしみついています。当医療センターでは実習に来た学生さんを送り出すときに、院長である私が必ず駐車場まで見送りに出るのですが、これも大学時代に「人を見送るときには相手の姿が見えなくなるまで見送りなさい」と教えられたからです。

 サッカーは社会人になってからも続けていましたが、今は子どもの野球チームのお世話で休日がほぼ埋まってしまいますね。(聞き手と写真=山下)


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