患者にする④
8月上旬の暑い日だった。私は妻と山口の出張のために博多駅のホームにいた。突然、妻がホームの方を向いて「あっ」と大きな叫び声をあげた。私が振り返ると、のぞみの入口の前に、おじいさんが倒れ、女性がおじいさんを支えていた。
あわてて私も走り寄った。おじいさんは90歳ぐらいで、頭から血を流していた。めがねはホームの下に落ちて割れていた。
おじいさんを支えていた女性は、頭から流れ落ちる血を止めるのに必死だった。その間、のぞみに知らぬ顔で乗り込む乗客もいた。その人達に向かって「人が倒れているのに、知らぬ顔して乗り込むんじゃない!」と言う怒号も聞こえた。
私はおじいさんの傍らで、意識を確かめると共に周囲に向かって「あなたは列車を止める非常ベルを押して」、「そこの男性は駅員を呼んできてください」、「だれかタオルを持っている人は出してください。」「あなたは、救急車をよんでください」と一人ひとりに大きな声で指示を出した。
ニューヨークで若い女性が深夜暴漢に襲われ、大きな悲鳴を上げた。近くのアパートの明かりはついたのだが、誰も警察に電話をせず、結局その女性は殺害されてしまった。社会心理学者が調査したところ「悲鳴には気付いたが、誰かが連絡するだろうとみんなが思いこみ、結局誰も連絡はしなかったために、女性は殺害されてしまった」ことが明らかになった。
このようなことはよく起こる。交通事故が起きてみんなが何かしようと思っても、何をしてよいかわからない。そんな時、個人的に「○○をしてください」と指名されると責任感と役割が生まれて、ほとんど人は指示に従ってくれる。前号で書いた、私が事故にあった時の消防隊のした役割を私がしたことになる。理論と実体験から学んだモデリング学習が、役に立った。
冷たく絞ったタオルを提供してくれたまま、のぞみに乗った人もいた。
救急隊がおじいさんに、病院に行きましょうと話したが、「東京に帰らなければ」と救急車に乗るのを拒絶した。頭を打っている可能性も高く、出血もある。何より熱中症の心配もあるので私も説得に加わった。それでも首を縦に振らなかった。やがて駅員や警察官も来たので、私は次ののぞみに乗った。
その後、駅員から電話連絡があり、おじいさんは救急車で病院に行き、検査の結果、擦り傷だけだったとのことだった。
今回は「患者にする」ことの難しさと、事故が起こった時に、どのように行動すれば人は動くのかを実体験することができた。理論とモデルリング学習が「実践」には必要だと言うことを実感した出来事だった。