認知症スペシャリストに会いに行く

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独立行政法人国立病院機構 菊池病院 院長 髙松淳一

1973 熊本大学卒、同神経精神科研修医 1976 京都大学医学部老年科医員 1978 国立熊本病院内科神経科医員 1982米国アインシュタイン医科大学モンテフィオーレ病院神経病理部門留学 1986 国立肥前療養所神経科医長 1994 国立療養所菊池病院臨床研究部長 1999 同副院長 2003 同院長 2004 独立行政法人国立病院機構菊池病院院長。
■精神保健指定医 ■精神保健判定医 ■日本老齢精神医学会専門医・指導医 ■日本認知症学会評議員/専門医・指導医■日本精神神経学会専門医・指導医 ■熊本大学医学部医学科臨床教授 ■西日本認知症高齢者対策研修責任者。

 JR熊本駅から肥前線に乗り換え、無人のJR原水駅で降りて、農村地帯や森や、背丈より高いトウモロコシ畑を左右に見ながら1時間くらい歩いたところに、独立行政法人国立病院機構菊池病院がある。人里からずいぶん遠い。

 認知症という言葉は広く知られていても、本当のところはあまり知られていないようだ。その実、「認知症になるくらいなら癌で死んだ方がまし」と言い切る医療関係者も少なくない。国内有数の専門家に話を聞いた。

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独立行政法人国立病院機構 菊池病院 院長 髙松淳一

―なぜ精神科医に。

 医者の家系ですが、精神の不思議さや謎に惹かれたから精神科医になったと言えばいいでしょうか。

 私は認知症が専門ですから、形があり、目に見えるものです。精神そのものは形のないものですが、障害や疾患の場合は脳の研究になってきます。認知症の場合も脳に変化がありますから、そこにも興味があります。

 日本でも早くから、この病院で認知症の治療が始められ、その過程で、メンタルケアという、患者さんの心に沿った治療をずっとやってきました。

―駅から1時間歩きました。

 最寄駅から歩いておよそ1時間という距離は、当事者や家族にとって利便性はよくないでしょう。これは精神医療の、社会からの心理的・地理的な距離ともいえます。

 ただ、患者さん1人では来れませんから、家族と来る過程で、時間と空間を共有できる距離だとも言えます。しかも車ですから対面しなくてもいいんです。窓の外を見ながら、黙っていても感覚が一致した瞬間があれば、それも大事なんです。

―認知症という言葉に漠然とした恐怖を感じます。

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 もの忘れをして自分が分からなくなった人を周囲の人が見ますと、「不安で、怖いだろうな」と思いますが、認知症が進んでいくと、「間違って分かる」ようになります。

 たとえば自分の年齢が分からなくなったお年寄りが、「私は40代だ」とタイムスリップして、自分では「分かる」わけです。そして、間違って分かれば、分からないという不安が消えます。そこをどうとらえるか、ということは別にして、それで認知症の方は自分なりの生き方をされているように思います。そこを当院では「もう一つの生き方」とみなしています。

 しかもその方には、かつて40歳だった時があったわけです。だから、今を見て間違いとだけは言えないんですよ。ただ、「あの日に帰る」という傾向がありますね。

―その話は深いですね。

 一般的には忘れたり分からなくなったりすることは、全部否定されていますね、社会からも。ところが当事者はけっこうけなげです。周囲の人がどう見ようと、なんとか必死に生きておられる姿を当院で見ます。それは、社会や家庭の中ではなかなか出せない姿です。否定されますからね。

 弱いので1人では生きていけませんが、集団になるとまた違ってきます。そこを基本にした治療をしています。

 もう一つは、患者さんの集団では心地よいと思います。結びつきが人に回帰していきますね。でも現実には、住み慣れた所で、いつまでも一人で、しっかり生きていかなければならないので、私から見れば、少しきついな、もう少し大目に見てほしいな、と思います。

 患者さんが「私は40」と言えば、私は「そうですね」と言いますが、一般では否定されるわけです。

―認知症患者の前では私が揺らぎそうです。

 そうですね、違和感があるでしょう。患者さん同士は違和感があまりなく、親和性があるように見えます。人は、自分に似たものに対して親和性を持ちますからね。出身高校や持病が同じというだけでつながるよう

―仕事を通して得るものは多いでしょうね。

 ほとんどもう、診察の時に境がなくなりましたね。家族でもない、でも何か一体化します。

 先ほど「間違って分かる」言いましたが、家族すら分からなくなった時でも、知らない人に会って、その人を気に入ったり相性がいいと分かると、家族にしてくれるんです。

 だから「どこかでお会いしましたかね」と声をかけると、「そうですね」と返してくれ、そこでつながるんです。「初めまして」では、いつまでも距離が縮まりません。

 人は馴染みの中で生きていて、認知症になってもそれがなければ不安ですから、よく周囲の人を知り合い(馴染みの人)にされますよ。特に入院されている方は重度ですから、幼なじみや従兄弟だと誤認されるんです。でも本人は誤認じゃないですよ。だから私も、初めて会ったのに「高校の先輩」になるわけです。その時、患者さんは私より若いのです。そうやって面目を保っているのでしょうから、診療の時は、それをつぶさないようにします。家では許されな

 だから、「病気だから病院に行きましょう」という論理は通じません。本人にはその認識はあまりありませんから。それで、何かのついでに家族と来られることになります。そして私と対等に話し、「今日は楽しかった」と帰られるだけで、その間に検査をし、薬も調整するんです。

―死について。

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新病棟完成予想図(平成28 年度予定)

 死というよりフェードアウトの仕方だと思うんですよ。癌で死ぬと、現実の中での苦しみがあるわけですよ。ところが認知症の方は癌を告知されても、「実感的に癌を生きていく」んです。痛みも鈍くなりますからね。

 精神科というところはいろんなことが複雑に絡み合って、ネガティブ、否定的な所ですから、精神科で最期の時期を過ごすというのは、批判や非難があるんです。でも患者さんは平気です。居心地のいいところが自分の居場所なんです。

 病院にいるのに、病院じゃなく、「ここはよかとこ」なんです。

 心のアットホームというのは、決められた場ではないんです。時代が違いますからね。やはり人なんですよね。人とつながって、昔話をしながら過ごしたいようです。

 認知症になると自分の体験したことが浄化され、生と死の間のグレーゾーンみたいなところに行って、80歳なのにお母さんと一緒にいるわけです。死の方がこっちに来る。そうすると安心なんですよ。「お母さんは仕事しています」とか言われます。お父さんはけっこう亡くなっているんですけど(笑)。

 認知症になって自分が分からなくなってくると、充実した時に戻り、フィナーレになると黒澤明監督の「夢」みたいに、オムニバスでいろんなものが出てくるようです。

―院長という仕事について。

 国立病院が独立行政法人に変わってからいろいろありましたが、テーマを与えられたと思うことでしょうか。貴重な経験ですからね。最近はそういった覚悟が出来てきました。(聞き手と写真=川本)


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