6月から院長 済生会らしさを取り戻す

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社会福祉法人恩賜財団済生会福岡県済生会八幡総合病院 院長 北村昌之

1982 九州大学卒 九州大学医学部附属病院研修医(第二外科) 1983 製鉄記念八幡病院研修医 1984 九州大学医学部附属病院医員(第二外科) 1986 国立別府病院外科医師 1989 宗像医師会病院外科医長 1995 九州大学医学部第二外科講師 1996 済生会八幡総合病院消化器科部長 1998 九州中央病院第二外科部長 2004 同副院長
■九州大学臨床教授 日本消化器病学会九州支部評議員 日本外科学会指導医 日本消化器外科学会指導医 日本消化器内視鏡学会指導医・九州支部評議員 日本食道学会評議員(平成20年まで) 九州外科学会評議員

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社会福祉法人恩賜財団済生会福岡県済生会八幡総合病院 院長 北村昌之

―九州中央病院にいたそうですね。

 もともと当院の消化器科部長だったのですが、九州中央病院は3期連続8億円の赤字で、それを立て直そうと平成10年に呼ばれたんです。

 九大の別府先進医療センターで外科教授だった秋吉毅さんが院長になり、「近隣の病院に負けない外科を作ってほしいと」言われたので、「九州一の外科にしたいと思っています。近隣なんてみみっちいことを言わないでください」と言いました。秋吉院長は「スマン、スマン」と笑われて、以後はやりたいようにやらせてくれました。

当時手術症例が250例くらいしかなかったのを、1,250例くらいにしましたが、院長が私を信じてくれたのでやりやすかったですね。外科の病院にした、ということはありませんが、外科が強い病院にしたとは思います。

―急激な立て直しでしたか。

 平成10年当時、なぜ病院が赤字だったのかを考えると、患者の入院はないし、職員は依然としている。そして過度に看護師が多かった。経営改善のために救急を始めようとしましたが、組合がストライキを起こしストライキが起きる前日から、なぜかテレビ局がカメラを設置していました。

 スト中は看護師も最低限しかいませんから、点滴などは我々医師がやりました。秋吉院長はそれで「やりたくない人はやらなくていいです。やろうと思う人だけで救急をやりましょう」と言われました。今考えてもすごい言葉だな思います。

 私は当時管理職ではありませんでしたが、院長とは同じ外科だし、酒の席でも話を聞いていましたから、私は「来たら絶対断らず、九州で一番良い手術をしてあげるんだ」という信念を持ちました。そして救急車が年間250台くらいの病院だったのを5,000台の病院にしたこともあり、すぐに黒字になりました。救急をやりたくなかった人たちは病院を去り、やる気のある新しい人が増えました。

―そこで評価され、院長として迎えられたんですね。

 そういうことにしておいてください(笑)。

 当院も今は景気が良いというわけではありません。救急は年間2,000台を受け入れていますから、そこを改善しても大幅に経営が向上するというわけではありません。小さな点を一つ一つ見つけ出していかなければなりませんから、当時の立て直しの手法がそのまま使えるわけではありません。

 しかし当院には、西日本の医療を牽引してきた歴史があります。透析と腎移植を西日本で最初に始めたのは当院で、脳外科だって当院が始めたようなもので、西日本で一番多かった。平成元年には腹腔鏡の手術を西日本で最初、日本で2番目にしていますし、平成2年には、腹腔鏡の胃切除を世界で最初にしている、伝統ある病院なんです。

 小泉・竹中の改革で医療を取り巻く環境が厳しくなっても当院はまだ安泰でした。しかしあちこちの病院が努力をしましたから、今は時代遅れになってしまったと考えています。他院は荒波にさらされながら強くなっていきましたが、当院はそれがなく、急に大きな荒波にぶつかってしまった。これが今の状況です。

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 「選択と集中」の中で当然、腎センターとか脳神経外科センターを強化しなければなりませんが、まずは済生会らしさを取り戻さないといかんと考えています。

 医療が行き渡らなかった人たちに、明治天皇がおふれを出して始めたという、施薬・救癒の精神。当院には今その精神が必要です。今の病院はどこも厚生省の先取りをして、いい所ばかり取って儲けの美味しいところばかり取っていく。

 当院はそうじゃなく、網にもれた人達を診るというのが本分です。「生活困窮者を済(すく)う」、「医療で地域の生(いのち)を守る」、「医療と福祉、会を挙げて切れ目のないサービスを提供」という済生会の精神に則った病院になるべきで、高度急性期から回復期まで切れ目のない連携をつかさどる病院にしたいです。

 我々には急性期の呪縛がある。「急性期病院がいいんだ、回復期病院は劣るんだ」というランク付けがあって、その呪縛から医療従事者が開放されない。だからみんなが急性期だけを診て、途中がない。

 在院日数を短くして効率を上げることは良いことなんだけど、途中がないから放り出される。

  「急性期病院は在院日数を短くしろ、外来はなるべく診るな」と言いますが、でも患者の側から言ったら手術してもらった人にOKが出るまで診てもらいたいというのが人情で、そういう優しい医療を取り戻したい。切れ目のない医療を目指したいですね。

 厚労省の政策の要求に従うと、患者さんに冷たい医療になってしまいます。でも医療の効率ということを考えたら、その方向に行かざるを得ないのも事実です。その両立をどうするか。

 当院は少なくとも、冷たい医療をしていくつもりはないです。やっぱり温かい医療をしていかないかんと。それが「済生会らしさ」だと思います。当院は訪問看護にも力を入れていますが、それが本当に良いのかは厚労省でも意見が分かれているのではないでしょうか。

 人工密度が低ければ低いほど費用がかかり、効率が悪い。密集すればするほど効率が良くなる。だから例えば、サ高住などのサービスで医食住を一緒に提供できるサービスなどが良いかなと。ただ、サ高住は入ろうとするとある程度のお金がないといけない。だから低所得者に優しいサービスを展開したいですね。

 今後は、高度急性期病院が今ほど必要なくなるんじゃないかなと思います。だから医療の需要と供給の関係、バランスを考えながら、病院の進むべき方向を見なければなりません。

―今後の展望は。

 目の前に2025年問題が来ています。1つの政策をしても見直すのに5年はかかりますから、あっという間の、待ったなしの状況です。厚労省の考えているモデル的な事業をぜひ当院でやりたいですね。地域包括 ケアのような、どの地区に何が足りないのか、足りないものは作れるのか。

建て直しは戦略と戦術です。細かい所はいろいろあるだろうけど、何に向かって、どうしていくか、というところが一番肝心でしょう。そしてそれが日本全体の問題や、国の政策と一致していなければなりません。

間違った方向に病院を持っていくわけにはいきませんから、常に厚労省や日医などの政策とすり合わせながら、これでいいのかどうかと確かめながら進んでいかねばと思っています。時代に即応することが大事だと思いますね。


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