人材は宝 若い人を大事にしたい

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特定医療法人茜会 理事長 吉水一郎

吉水一郎(よしみず・いちろう) 1991 山口県立下関西高等学校卒 1999 福岡大学医学部卒 福岡大学病院第一内科医員 2001 福岡大学第三内科医員 2003 糸島医師会病院勤務 2005 医療法人茜会吉水内科院長 2008 医療法人茜会副理事長 2010 同理事長 2013 特定医療法人茜会昭和病院院長

 茜会は総病床398の昭和病院を中心に、在宅総合ケアセンター及び同グループである社会福祉法人暁会との連携を密にした総合医療体制で、地域医療に取り組んでいる。今回は吉水理事長に、響灘の波の音を聞きながら昭和病院院長室でお話を伺った。

―昭和病院は眺めが良いですね。

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 高台から海を見下ろせるので、入院患者にとっては良いのですが、外来には不便です。立地的に急性期よりも長期入院の方が向いていますね。

 現在昭和病院では、神経難病や障害者医療、リハビリテーションなどに力を入れており、回復期リハビリテーション病棟を山口県で最初に導入したのも当院です

―茜会では病院やクリニックだけではなく、多くのケアハウスやデイサービスなど手広く運営されていますね。

 昭和61年に無床の吉水内科を開設し、63年に医療法人茜会を立ち上げました。今25年くらいの歴史があります。創始者である父の代一代で大きくなった法人です。父から「辞めるか、継ぐか」と相談を受け、継ぐことを決め、平成17年に帰ってきました。

 私も父と考えを同じくし、拡大路線を継承しています。平成21年、私が副理事長の時、福岡県の市立門司病院の指定管理を受けました。ここが上手く運営できれば、拡大路線でいけるだろうと考え、手応えを感じ理事長に就任しました。理事長になって今3年ほどになります。

 理事長になっての最初の仕事は、看護学校の設立です。平成22年、下関に看護専門学校を開校しました。不採算な事業ではありますが医師として看護師の養成は不可欠だと、以前より感じていました。近隣の公的病院からも苦しんでいると相談を受けましたし、今作らねばならないと思いましたね。

 来年は東京に事業進出することが決まりまして、母が理事長を務める同グループの社会福祉法人で6階建ての特養を作り、クリニックや通所リハビリを併設します。江東区に現在建設中で、26年の4月にオープン予定です。

 私は、自分を経営者として優れているわけではないと思いますが、周りの人が助けてくれるので、こういった挑戦ができます。先代は自分で何でもやれましたが、私はそうではない。出来る人にお願いをして協力してもらうタイプ。だから茜会のスタッフには、本当に感謝しています。私の代で行うべき一番大きな事柄は、今は昭和病院の建て替えです。

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病院の正面玄関を背に海側を撮影。潮風のためか、粒子状物質が少なく空気が汚れていないという。風が強く、以前は病院の窓ガラスが割れることもあったらしいが、現在は強化ガラスを導入しており安心して入院することができる。左に見える建物は、ケアハウスあかつき。茜会とは同グループである社会福祉法人暁会が経営している軽費老人ホームで、定員は60 名。

 そして順調に三代目に譲り渡すということを目標にしています。そのためには人材を育てることが重要です。父が育てた優秀な人材に囲まれていますから、良くわかります。特に理事長一人で経営はできませんので、事務方の人材は絶対に必要です。

 しかし慢性期中心の病院で、若い医師を育てるのが少し難しい事情もあります。だからその分、事務部の若い人を育てることには、目が届きやすいと思います。

 看護部の人材を育てたい意味もあって、看護学校は作りました。教員になれる看護師を育てていきたいです。他のメディカルスタッフからも、運営を支える幹部が出てきて欲しいと思っています。頑張っている人を認める法人でありたいですね。

―ご家族は。

 最近結婚しまして、子供が一人生まれました。理事長として一人前になるまで......と計算したら、75歳まで私は働かねばなりません。失敗しました。

 今は海を挟んで門司港(北九州市門司区)の辺りに住んでいます。昭和病院への通勤は20分ほどです。

―下関の出身ですか。

 元々は横浜に住んでいたのですが、父が下関で開業するというので、中学生のころこちらに移り住み、高校までは下関です。それ以前は海外にもいたので、日本語はあまり得意ではなかったんですよ。国語の成績の話です(笑)。当時は言い訳にしていました。でも、中国とブラジルにいたので、英語ができたわけでもないんです。

 父は当時、大使館勤めの医師で、皇族の方も診ていたようです。医師になろうと思ったきっかけは、父の姿をそうやって見ていたからですね。

―そうして福岡大学に入学される。

 福岡には学生のころから数え、20年くらいいました。人生の半分は福岡です。大学がある福岡市城南区に住みました。

 あまり勉強は得意な方ではなかったので、福大の医局に入ってすぐ「ついていけない」と感じました。辞めようと思い教授室に行きましたが、当時教授がアメリカに行っていて、言えませんでした。それがそのまま言いそびれ、今に至っています。だから先輩や同僚に助けられて医師になったという思いがあります。人に助けられているから、人材の大切さが分かっています。助けられた分、今度は私が若い医師を大事にしたいですね。(写真撮影=鳴海)


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