■19年続いた赤字を9年連続の黒字に変えた秘訣■
健康保険直方中央病院 野田晏宏病院長に聞く
○日本高血圧学会 高血圧専門医 ○日本循環器学会 循環器専門医 ○日本内科学会 内科認定医
野田晏宏・現病院長が副院長として赴任した1989年当時、同院は危機的状況にあった。運営上の失敗から労使が対立、医局内に不和が広がっていた。野田副院長が職員にねぎらいの葉書を出しただけで、それを理由に本人から抗議されるほどだったという。やがて「全国52の社会保険病院で唯一の赤字病院」として知られることになる。
2000年、病院長に就任と同時に、2014年までを見据えた「3段階の経営改善構想」を示し、改革の手を次々に打った。そして2005年、19年間連続で赤字に陥っていた収支が黒字に転換、累積欠損の2億2千万円も一掃した。その道筋は当時の業界誌で紹介され、「九州ホスピタルショウ2006」の病院マネジメントセミナーでも、野田院長が講師として登壇している。
―当時を振り返って。
私が医者になりたいと思った原点とも関係するが、患者さん中心の医療、患者さんの立場に立って奉仕の医療をしなければうまくいくはずがない。病院の主人公はあくまでも患者さんで、病院で働く人ではない。医療者は世のため人のためを忘れてはいけないと、繰り返し訴えた。
―訴えは届いたのか。
マス(多数)に向かって話してもまったく伝わらないことに途中で気がつき、個々に語りかけるようにした。職員の誕生日にはバースデーカードを出して病院の状況を説明した。それを5年間続けた。職員にも、何とかしなければつぶされてしまうという危機感はあったと思う。それを信じた。今でも医師・看護師には「患者さんや周囲に対して正直であれ。逃げず・隠さず・ごまかさず」を言い続けている。
―経営や経理に詳しいのか。
私は金勘定が苦手だから、材木商の父の仕事を継がなかった。経営のイロハも知らず病院のデータもない。そこで病院の外に3人の経営モデルを求めた。1人目は東京都にある最難関指導高校の校長、2人目は伏見高校のラグビー部監督、3人目は米沢藩を立て直した上杉鷹山。特に上杉鷹山の「火種の誓い」は参考になった。
―現場の動きが変わらなければ収支は改善しない。なぜ変わったのか。
一番のモチベーションは平成16年(2004)の病院の新築移転。そこで「経営改善構想は第2段階に入った。医療と看護の質を向上させ、新病院で飛躍しよう」とみんなに伝えた。患者さんにアンケートを取ると、このころから苦情が減り、感謝の言葉が増えていた。
こういったことも職員を励ましたと思う。少しずつ、私を見る顔に笑顔が増えてきた。
そんな変化の中で、変わろうとしない人は辞めていった。良い循環が始まると、負の連鎖を手放さない人は残れない。ネガティブサイクルをいかに断ち切ってポジティブサイクルに向かうかが重要で、病院新築が変化の発火点になった。私自身も新病院のプランがなければ続かなかっただろう。
1つの方向に進んでいくという意識が職員には重要で、日本医療機能評価ver4を平成17年に一発でクリアできたのもその表われ。ベクトルが1つになった時の力はすごく大きい。再建とは、人を再建することだ。
―戦略家的な性分なのか。
臨床研究がしたくて医者になったのに、病院経営をするとは思わなかった。しかし人の和が保てない状況は、決して患者さんのためにならない。そこだけは変えたかった。
―並大抵の苦労ではなかったのでは。
医療は、世のため人のためという青い気持ちを持ち続けられる数少ない職業。毎日が大なり小なり、世のためになり、人のためになっている。高校のころ、医者になるか実業の道に進むかで悩んだが、医者になって本当によかったと思う。
―経営改善構想は第三段階に入っているが。
私が院長に就任した時から言い続けていることに、「ザ・ノオガタ・ホスピタリティー」がある。「病む人の立場に立って笑顔で声かけをしよう」という当院流のおもてなしで、現場のモットーになっている。
き 気配りと気安さ...協力し合う職場
く 苦心と工夫...具体的な行動
け 謙虚さと敬愛の心...継続は力
こ 心使いと声掛け...高度の医療
ほかにも当院独自の5K活動には担当者を中心にして、理念の行動化をはかっている。
土曜日に直方イオンで行なっている「一日町の保健室」など、トップダウンで始めたことがボトムアップとして広がり始めている。
病院は公器だから、患者さんと職員が幸せになり、地域社会が栄えることが本院の理念。
その観点で、来年4月から病院名が、「独立行政法人 地域医療機能推進機構 福岡ゆたか中央病院」となり、九州年金病院も「九州病院」と名前を変え、同じ地域医療機能推進機構に入る。
地域医療、地域包括ケアの要として一層貢献できるし、同時に、第三段階の構想(直方・鞍手医療圏から筑豊医療圏の、保健・医療・福祉の総合的基幹センター)も実現できるだろう。
当院の現場は、顧客満足の追求から感動の段階に入っており、そろそろその芽が出てくるのではないかと期待している。本来病院は、来たい場所ではないから、そこに感動を生む工夫は、医療人としてやりがいがある。