社会復帰してもらいたいのです

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医療法人 恵愛会 福間病院 理事長 江見 五城

えみ・いつき=大正14 年生れ。昭和24 年(1949)
岡山医科大学附属医学専門学校卒業 昭和26 年(1951)九州大学医学部精神神経科に入局し、九州大学医学部文部教官 昭和30 年(1955)福間病院副院長 昭和31 年(1956)医療法人財団恵愛会理事就任 昭和39 年(1964)希望ケ丘保養院院長就任 昭和47 年(1972)福間西病院院長就任 平成23 年(2011)医療法人恵愛会理事長就任。

 昭和30年、外壁と鉄格子を排除して自由開放療法を試みる精神科病院が、現在の福岡県福津市に産声を上げた。創設したのは佐々木勇之進(初代院長)、江見五城(現理事長)のほか3人の若い医師。病院に携わるすべての職員は看護者であるという自覚は引き継がれ、患者と同じ目線で「これから」を一緒に考える努力を続けている。江見理事長を訪ね、創設時の思い出を中心に聞いた。

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記念館前の江見理事長。

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薬医門

 あのころ福岡に精神科の病院は少なくて、5つぐらいしかなかったと思います。私が関東の国立武蔵野病院の見学に行った時、そこの所長から、「ちょうどいいところに九州の雄が来た。社会復帰学校を作っているから見ていかないか」と言われて見学させてもらったんです。そしてびっくりしました。高齢で何もわからない患者さんに、汽車賃や電車賃のことを教えて社会復帰させようとしていたんです。

 社会復帰の学校を作って開放型の病院をやろうと思ったのはその時からです。福間に帰って仲間の医師に話したら、みんな賛成で、ちょうど福間町の旧南部中学校が閉鎖する話があったので、ぼろぼろの校舎を譲り受け、社会復帰学校と「希望が丘村」を作りました。希望が丘村では院長を村長にして、看護婦は患者さんと同じもんぺを着て、院長もカーキ色の作業着で共同生活をしました。社会復帰学校と希望が丘村、そして病院の3つを一緒にして治療を行なうことにしたんです。

 病院設立に反対する住民には、格子のない開放型の病院だということを毎週のように説明して納得してもらいました。

 また、学校の土蔵から「下農は草を見て草を刈らず、中農は草を見て草を刈る、上農は草を見ずして草を刈る」と書いた二宮尊徳の言葉が出てきて、これこそ希望が丘の精神だと僕が言いまして、みんなで草を見ずして草を刈ろうと、勤労精神を徹底させました。すると、真面目でよくやると評判が上がり、反対していた人たちが手伝ってくれるようになりました。

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光の下、土の上での自由開放療法は「光と土への感謝祭」として今に引き継がれている。(写真提供=福間病院)

 また希望が丘を開放して、音楽療法や絵画療法を見てもらったんですよ。そしたら感心されて、福間町の大きなホールで披露したこともあります。それも評判が良かったですね。自分たちで新聞を発行したり、音の出るものをみんなで集め、打楽器も毎月1つずつそろえて、何十人かでオーケストラみたいに演奏したりしました。なかなか壮観でしたよ。今日、精神科病院で熱心にやられている音楽、絵画、工作などの作業療法を、すでに社会復帰学校でやっていました。

 うちのやり方は、いろんな競争をさせるんです。自分の作ったスイカに番号をつけて品評したり、物を投げる力を計ったり、大声を出した成果などを記録して、それを喜ぶシステムでやったんです。マラソン競争では1等、2等、3等をつけて賞品も出しました。とにかく勇気と自信を持たせ、自分がしたいことをさせるということを主義にした環境を作りました。

 もう1つやったのが、患者さんの中で村会議員を無記名で決め、希望が丘の運営と採算は全部任せたんです。鶏とか大根とか米や麦も作っていましたから、彼らは喜んでやりましたね。それで社会適応ということを学んでいったんです。

 社会に適応させるためには、親や家族を大事にする姿勢を持たせることが大切ですから、そのために外泊もさせました。すると違ってくるんです。帰ってきたらとても生き生きしているんですよ。

 うちではいろんな先生が当直をしてくれました。日本でも有名な神田橋條治先生は手品が上手でみんなを喜ばせました。また、創設時の医師に中川保孝君という画伯がいて、絵画療法の先駆者でした。

 彼は昭和40年に嬉野で、美術館のような嬉野温泉病院を開業しました=当紙2013年7月号に特集。

 中川君は私の朋友です。彼は芸術家であることを誇りにしていました。それでもって精神病者を治していこうとして、やってのけたから偉いですね。彼の気持ちはこの病院の中に今も残っています。

―医療が進歩していながら心の病が増えています。

 不景気になればなるほど、大きな気持ちで乗り切っていく勇気が出なくなります。目標に向かって突進する力を日本人が失いかけていると思います。目標を失うと自分の弱さをつくづく感じるようになってくるでしょう。

少しずつでもいいから目標を持って、立ち上がっていくことを国民が一緒に学ばなければいかんですね。そして事実を世の中に訴え、それを実行したら成果もあがってくるし、病気も治ってくるんじゃないかと思います。そのためには底力をつける教育をする必要がある。やはり日本人を育てないといけません。

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江見理事長の米寿を祝う会(2012 年9 月28 日)。

 我々も日本の精神科病院を作って治療しなければいけません。もっと目を広げ、長い目で世の中を見て、変わっていく精神世界を見直して、そこで治療の根本を探らなければいけないですね。

 希望が丘のやり方は、いろんな試みをみんなに任せ、成果を返して力を与えることでした。小さな成果でも集めたら大きな力になりました。それは大いに良かったです。

―正門が目を引きますね。

 薩摩藩の薬医門という名前です。江戸時代に大名や藩の御典医などに建築が許された薬医門を、堀三太郎(1866〜1958)という直方の炭鉱主がここに移設し、別邸として使っていたんです。屋根瓦に薩摩藩の丸十字がありましたよ。

 当法人の運営する福間看護高等専修学校の校歌にも薬医門という言葉が出てきます。うちのシンボルで、すべてここから始まりましたから、作詞を依頼された時に私が入れたんです。


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