患者になる②
私には25年来の主治医がいる。夏に胃痛を感じ、胃カメラの上手な医者を友人に尋ねて紹介してもらったことがきっかけだ。それ以来、風邪や胃痛などでずっと通院している。随分高齢になられたが、印象は全く変わらず、全幅の信頼を寄せている。
どんなに忙しくても、にこやかに話を聴いてくれるのは、先生の人間性だろうが、それだけで安心できる。臨床心理士としても見習うべき点だ。
特に胃カメラの検査の時は、私が苦手なのをご存じなので、「ゆっくり慎重にやりますから、大丈夫ですよ」といつも声をかけてくれる。その一言で私は安心するのである。終わったあとも、「今日はちょっとつらそうでしたね」など声をかけてくれ、すぐに画像を見て説明してくれる。
あるとき、膵臓と胃カメラの検査で、少し懸念されることがあった。その際先生は、「私の診断では心配ないと思いますが、念のために専門の先生を紹介するので、その先生に診てもらった方がいいでしょう。どうしますか。」と尋ねられた。
「自分で診ることができない」、「他の専門の先生に診てもらう」と患者に言うことは、ある意味、医師としての自分の専門性を否定することにつながりかねない。しかし、患者のことを思えば、それが医師としての責任を果たすことになるのだろう。
その医師が本物かどうかは「セカンド・オピニオンの意見を聞きたい」と尋ねた時に、それを肯定的にしっかりと受け止めてくれるかどうかで判断すればよいと聞いたことがある。
私の主治医は、私が言わなくても専門医を紹介してくれる。専門家とは、自分の専門が何かを自覚し、自分の専門以外のことは専門家のように言わないことである。
私が大学院生だったころ、臨床心理学の教授に事例検討の中で、「それは、反抗期も要因の一つではないか」と意見を言った時、「反抗期とは何か。私は発達心理学が専門ではないので、しっかりと調べてみてください」と言われて驚いたことがあった。臨床心理学の専門家だから何でも知っているのだと考えていたが、その分野でも、細かく分かれていることを理解すると同時に、専門以外のことは、専門家ぶって言わないことが大切だと、その時に学んだ。
私は、医者や看護師、臨床心理、教師などの対人援助職には、「専門性」「人間性」「社会性」の3つが必要だと常々考えている。専門性は分野ごとに違うが、人間性・社会性はどの分野でも共通している。主治医から学ぶことは、臨床心理士としても多いのである。そして、主治医に会う度に、次の詩のフレーズを思い出す。
「気取らず、飾らず、智恵深く、情け深く、いつもありのままの人」