医療法人衆和会 長崎腎病院 理事長/血液浄化センター長 舩越 哲
2008年から事前指示書の運用を始め、2011年には92%の患者が記入したという。「こんな大きな透析施設より、その町その町に気軽に行ける施設があるのが理想。でも今の医療事情ではとてもそんなことはできない」。そう語る舩越理事長に、透析医の苦悩や希望を聞いた。
透析室で職員と。向かって右から美佐保学看護師、熊谷美香看護助手、船越理事長、田中初音看護師、原健二事務局長、江藤りか薬剤課長。(7月18日撮影)。
中国大陸で育った父親の影響でアイスホッケーの醍醐味を知った。「地上で出来ない動きが氷の上で出来るのが魅力」と理事長。ポジションはキーパー。現在、長崎県アイス ホッケー連盟理事長。
―透析施設と老人ホームを併設したのは。
透析患者さんが高齢化していることと、長崎はインフラの整備が遅れているので、我々としては看取りも含めて在宅に目が行くことになります。でもそれがなかなか難しく、それで入院や特養施設を造ることになったんです。
私どもの老健の理念は、「その人がその人らしく生きられる」。それは自宅以外にはあり得ないので、在宅血液透析というものを行なっており、これから増えてほしいのですが、日本人は自分に針を刺す行為に強い抵抗感があって、なかなか増えません。心理的なトレーニングも含めてまだ模索中です。通所透析に比べて透析効率がすごく良く、患者さんのためにはいいんです。「在宅血液透析をやりながら移植のチャンスを待つ」。これはどの腎臓医に聞いても同じだと思います。
―透析患者の心の拠り所はどういうことでしょう。
自分があとどれくらい生きられるかは正確な統計がありますから、自分の寿命が見えている中で、日々過ごしていると思います。だから、どんな最期を迎えたいですかという話は何度もしています。週に3回顔を合わせますので、家族に近い関係でもありますからね。
癌患者さんの心境を、「ある晴れた日に肩をぽんと叩かれて振り向いたら死神が立っていた」とするなら、透析患者さんは、常に死神が遠くに見えている状況です。透析をやめると、当院の統計で5・6日で亡くなってしまいますから、死のことを考えないことはないんです。だから、死神ではなく自然な死として受け入れてもらうために心を配っています。
「道は閉ざされていません」
―透析医療に未来はありますか。
医者になって30年ですが、透析医療はプラトー(進歩の停滞)に達していて、これ以上の技術の進歩はないんです。そこで再生医療が待たれることになるんです。iPSでなくてもそれが可能になっていますから、倫理的な問題や治験をクリアして、10年は無理だとしても20年以内には実用化されます。
この病院ができてまだ2年ですから、ここで再生医療まで手がけられる日がくると思うと希望が持てます。透析医療以外の道は閉ざされているんだということではなく、死神がいなくなる日が来るんです。
今20代や30代で透析に入った患者さんは間に合います。節制してその日を待ち、移植のチャンスが来たら移植しましょう、ということです。
―仕事から学んだことは。
人の生死に直接関与することですから、誠実であることはもちろんですが、時として心を真っ白にして患者さんに向きあわねばならない。絶対に希望を奪ってはならないということです。
―医師になった理由は。
父が医者で、その背中を見て育ったからでしょうか。大酒飲みで決していい父親だったとは言えませんけど。
―医師を目指す若者に助言するなら。
自分の人生を捧げるに見合う仕事だと思います。
自分の家庭や楽しみよりも仕事のほうがずっと上にあり、常に仕事のことを考えていなければなりません。
私の父も家庭を顧みませんでした。私も、たとえ子供との約束があっても患者さんの容態の方が優先します。いつも患者さんのことを考えているのは幸せなことです。
―趣味はありますか。
舟釣りです。原事務局長は長野県出身で、東京で出会って長崎まで引っ張ってきたんです。長野には海がないものですから、釣りに夢中になりましたね。(横で原事務局長が苦笑い)