●佐伯市● 健康保険 南海病院 院長 亀川隆久
来年の4月に「南海医療センター」と名称変更するという。昭和22年に開設し、同33年からは社会保険病院グループに属して来たが、全国の厚生年金病院と船員保険病院を含めた3団体が一つとなり、独立行政法人地域医療機能推進機構(JCHO)としてさらに拡大強化される。
―いい絵画が多いですね。
私は4代目の院長ですけど、2代目の院長だった緒方保之先生(故人)が収集されたもので、医療機器を整備したあとに、病院は心身共にきつい人が来るところだからと考え、本物を中心に集められたんです。いまでこそアメニティという言葉がありますが、それよりもずっと前のことで、当時は反発もあったかもしれません。
3代目院長の恒松芳洋先生も、病院で医療するのは当たり前だから、どんな環境がそこにあるかを考えられたようです。
院長たちにゆったりした気持ちがあったんじゃないでしょうか。そしてそれに職員も感化されて、今の病院風土がつくられたように思います。
―院長になった経緯は。
前任の恒松院長が外科部長から院長になり、その補充で九大2外科から、2、3年の予定でこちらに来て、そのまま(笑)。もう30年近くなりますから、町を歩いても知った人が多いです。佐伯は自然が豊かだし、人もいいですね。
―南海病院の地域における役割は。
佐伯市には市民病院も医師会立病院もないですから、当院はいろんな診療科を備えている中核的な病院であり、今後もそうありたいですね。
―都市部以外ではどこも医師不足が言われますが、その解決策は。
大分県の医師の75%は大分市か別府市にいると言われているんですよ。ここは大分大学の医局出身者が大半で、大分大学と共に佐伯の医療を支えていくという考え方です。金銭的な手当も必要ですが、勤務状態や職場環境をどうするか、行政や個人病院との連携、受診する人の考え方まで啓蒙していくことが大切であり、必ずしも病院だけで解決するものでもないと思っています。
医者は病院さえ良ければそこで働くんですよ。でも妻子や親など、家族が住む町の環境がどうかということでしょうね。教育や生活の面、交通アクセスなどですね。問題はいっしょに生活する家族にとってどうかということです。だから町をあげて栄えさせる必要があるでしょうね。
医師の定着については、必ずしも一か所にいる必要はないと思います。
3、4年で医師が交代するシステムができたら、新しい考え方を持ち込んでくれますから、それだけで病院がよくなることがあるんですよ。この地域に残りたいと思ったら、一度大きな病院で研修をして、それを持ち帰ってもらうとか、大学に戻って研究をし、それを活かしてもらうとか、常に交流が必要だと思うんですね。臨床面での交流と、研究と臨床を結びつける交流です。
―職員のやる気はどこで培われるんでしょう。
やはり歴代の病院長と共に働いてきた、先輩職員の影響があると思います。ずっと以前から週休二日制を取り入れたり、救急はきちんとするとか、病院内のアメニティやスポーツの振興もあるでしょうね。特に野球は、医師と職員のチームが大分県の代表で全国大会に出たこともあるんです。みんな人間だから、仕事だけでなくスポーツや文化面で楽しみたいですからね。
そういった病院の歴史に支えられることで一般市民から注目され、一生懸命やっていても少し気を緩めると「南海病院は前はよかった」と言われかねないです。私が全職員に訴えているのは、とにかく少しでも良い方向に行くように、たとえ時間がかかってもいいからやってみようということです。リーダーシップは、さあやろうと思った時に出てくると思います。
―地域からどう見られているのでしょう。
病院とはいえ企業ですからね。組織としてしっかりしていることが大事で、職員の実力の向上と、周囲の方々からの期待や信頼に応えようと努力することが大切です。その点では職員もみんな同じ方向を向いていると思います。
市民から見られている面はあるでしょう。それは期待されているからこそだと思うんですよ。まわりの人から教育されているのだと考えたらいいと思います。
―若い医師に助言があれば。
自ら求めて好きな勉強をしてきたんですから、医師になったらそのお返しをしなければいけませんね。医師になるまで多くの人に助けてもらってきたことに対する感謝の念で患者さんや職場の仲間に接すればいいでしょうね。それと、自分は大人かどうかの確認が必要でしょうね。医者になったからといって、人として一人前になったわけではない。そう、近ごろは思うようになりました。