―青色発光ダイオードは いかに創られたか―

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県民公開講座で赤﨑勇教授(名城大)が苦労話

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第七高等学校理科出身の赤﨑教授。第七高等学校は鹿児島大学の前身の一つ。

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鹿児島の医学史に詳しい鮫島医師(上)と、「ゼンメルワイスの手洗い提唱が逆に、医師の手洗い禁止にまで発展した」と話す村田名誉教授。

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会場の前にあるウィリスと高木兼寛の像。高木は鹿児島医学校でウィリスに学び、後年海軍軍医総監となる。東京慈恵会医科大学の創設者。

 式典後に同会場で記念講演会が一般公開され、多くの市民が足を運んだ。

 「鹿児島の医学史散歩」と題し鮫島小児科医院の鮫島信一院長が、英国人医師ウィリアム・ウィリス(1837―1894)の功績を中心に、同氏の記念碑が城山公園に建立されたのちに現鹿児島大学医学部の敷地内に移転された経緯、鹿児島大学医学部教授会が中心になって企画した、ウィリスの没後100年追悼記念事業の様子などが紹介された。

 村田長芳鹿児島大名誉教授は、ウィリスのほか、産褥熱が接触感染である可能性に気づき、「院内感染予防の父」と呼ばれているイグナーツ・フィリップ・ゼンメルワイスなど歴史的人物を紹介し、医学発展の歴史を話した。「患者を殺していたのは医者の汚れた手だった」という説が当時の医師たちに受けいられず、ゼンメルワイスは精神を病み、失意のうちに死去したという。

 また青色発光ダイオードの開発で知られる、赤﨑勇名城大学終身教授・名古屋大学特別教授は、発光ダイオード開発の苦労と喜びを語り、技術進歩の現場を紹介した。

 ほかに赤﨑教授は、高校生(七高)時代、通学路で「薩医を突け!」と書かれた県立鹿児島大学医学部の学生募集スローガンを見た思い出話なども披露した。


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