社会医療法人泉和会 理事長 千代反田 晋
■ 医学博士 日本外科学会認定専門医 日本消化器外科学会認定医 日本胸部外科学会認定医 日本医師会認定産業医
日向市にある泉和会の千代田病院は、昨年7月に新築移転した。病棟各階中央にあるスタッフステーションには職員専用階段が設けられている。病棟の中庭やラウンジは患者に好評で、院内の壁面が珪藻土であるのも、理事長の自慢の一つ。海岸に近いことから、災害時に対応した設備も多い。60台のベッドを配置した透析室もある。そして、超電導MRI、128列のMDCT装置など、高度な医療を提供する設備がある。そこは「田舎町の中規模病院」という言葉が持つイメージとはかけ離れた場所だ。法人自体は救急医療の分野で認められ、平成21年に社会医療法人となっている。
旧病院では手狭になったので、広い場所に移転してきました。以前は駐車場も分散していましたが、今はまとまっていますし、駅から遠くなりましたが商業の活発な地域ですから、アクセスはむしろ良くなったと思います。建て増し建て増しで来た病院でしたので、各部門の連携の効率が悪かったことや、今の医療にそぐわない部分が出てきたことで、移転を決めました。
手狭で移りましたが、この地域は過剰地域であるため病床数は10%減らして198床。その分広々とした空間を使える病院になりました。
新しい病院は気に入っています。地元の中で一般診療をすること、一次二次の救急医療、地域の災害拠点病院、僻地医療と、役割は少なくないですが、それをより良く行うことが出来る形になったと思います。地域でドクター確保も難しいのですが、この地域では比較的来ていただいていると思います。都市部と同じような医療が提供出来るよう、努力しています。
元々、父(=千代反田泉泉和会会長)が消化器外科医で、開業していた医院が前身です。最初は昭和35年に開院した千代田外科医院。19床でした。私も子供のころ手伝いで、患者さんの給食に、アジを七輪で焼いたことがあります。そういう時代でした。父の代ですぐに40床になり、次々に増やして現在に至っています。
外から見れば変哲のない綺麗な病院だが、災害拠点病院や救急指定病院としての工夫がつまっている。
病棟のドアはリニア式で、軽く触れるだけで開閉可能。また取っ手は殺菌効果の高い黄銅を用い、メチシリン耐性黄色ブドウ球菌やインフルエンザなどの感染症の抑制に活用している。社団法人日本銅センター製
幼いころから父の仕事を見ていましたから、私も医者になるなら外科医をやりたいという気持ちはありました。直接手を触れて、悪いところを取れるところに惹かれましたね。東京医科大学を卒業して、宮崎医科大学に入局しました。もちろん外科です。豪放磊落(ごうほうらいらく)な先輩が多く、メリハリのきいた医局生活を過ごしました。その後東京でしばらく勉強したのち、平成2年から当院で働くようになりました。まだまだ医者の少ない地域ですから、私という外科医が一人増えたことで、少しは地元に貢献できたのではないかと思います。県北地域はそれが一番の課題で、私自身が医師確保に苦労していますから(笑)。その分日向市内の医師は仲が良く、地域連携は良好です。
常勤医だけで回せないのが当院の現状ですから、土日は外科が宮崎大学から、内科は東京から当直に来てもらっています。救急に関しては、命題みたいになっちゃいまして、どんなに大変でも絶対に崩したくはありません。救急を維持することは厳しいですが、一旦途切れてしまうと再構築は困難ですから、何とか守りたいと思います。住んでいる地域になければ不安ですからね。
外科を選んで良かったなと思っています。
私が外科医を志したころと今は時代が違いますが、外科医がいなければ手術は出来ません。だから、「人を助けるためにやるんだ」という気持ちを持って、若い先生には後輩のためにも頑張って欲しいと思います。医者には苦労もありますが、その経験を活かし、乗り越えていかないと人は助けられません。
趣味は魚釣りです。日向市は潮風を浴びる環境なんですが、でも年に何回かしか出来ません。海は病院から見えるけど、沖まで行くのはなかなか。でも海を見ているだけでも気持ちが落ち着きます。
このあたりはメジナや鯛が釣れますが、ほとんど餌撒きに行っているようなものです。栽培漁業とうそぶいています。前日に仕掛けを作る時が一番幸せです。
釣りには病院の職員や昔からの友だちを誘って行きます。釣ってきた魚を料理するのも好きで、みんなで食べる。自分が釣れていない時は、悔しいけどご相伴にあずかります。