佐賀医科大学の1期生なんですよ

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財団法人健和会副理事長
健和会大手町病院 院長    西中 徳治
佐賀大学医学部臨床准教授

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【Profile】
1984 佐賀医科大学医学部卒業ののち健和会総合病院にて研修医
1986 健和会大手町病院入職
1989 日本医科大学救急医学教室救急救命センターにて専門研修
1990 健和会大手町病院外科医長
1994 健和会大手町病院救急科部長
1999 健和会大手町病院副院長兼救急科部長
2008 健和会大手町病院院長
2011 健和会大手町病院院長兼副理事長

通された応接室からは、小倉城が見えた。左手には紫川が流れている。市街が一望できた。

健和会大手町病院は地上16階建てで、北九州市庁舎よりも少しだけ高いのだという。建った30年前は、他に高層の建築物はなかったらしい。今も花火大会の時は良く観えるそうで、患者に好評なのだそうだ。

―ご専門は。

私は救急科なんですよ。医者の数は余っていませんし、しっかり救急の現場でまだやっています。日直入ったり、当直入ったり(笑)。

救急科を標榜できるようになったのは最近のことですが、当院では内部的に「救急科」という部署を設けていました。救急を専門にするには、単科で診るわけにいかず、そういう組織が必要だろうと思ったんです。

医者になって2年目か3年目のころ、日本救急医学会に参加したのですが、日本医科大学で救急をやっている先生方がいちばん輝いて見えました。「いつか研修したい」と日本医科大学の先生に話したところ、「いつでもどうぞ」と言ってくださったのはうれしかったですね。そこで学んだことを、当院の救急集中治療の技術にフィードバックしました。その過程で1992年に「救急科」を作ったんです。日本で最初に救急科を作ったのは、当院かも知れません。

当院は北九州で救急車の搬入台数が最も多く、1984年に開院してから1度も他院に1位を取られていません。1日に16から20台の救急車が来ます。また、それ以外の方法で救急外来に来る患者さんも少なくありません。隣の大手町リハビリテーション病院に回復期の108床は移しましたが、当院は527床の病床数を持つ病院です。そのうちの7割が救急からの入院ですから、全国でも稀な例でしょうね。当院が出来る前は、戸畑区にあった健和会総合病院が、北九州の救急車搬入台数で1位の病院でした。北九州には他にも大きな病院が幾つかあり、それぞれが機能分担している形ですが、心肺停止などの超重症患者や、多発外傷を診ることが、当院に求められていることです。人員確保は課題ですが、特に救急を支えるスタッフは充実させるよう心がけています。

レジナビフェアにも出展されていましたね。

救急を勉強したいという若い先生は大歓迎です。今も学生が見学に来る時期ですが、歳の離れていない先生たちが生き生きとしているのを見て、研修先に選ぶケースは多いようです。それを支える指導医の先生方が、質の高い成績を残していることも魅力だと思います。 土地柄もあり、当院には重症患者が多く運び込まれますが、若い時にそれを見ているということが、他院に行っても大きな力、医者としての幅の広さになると思います。当院での研修は楽ではありませんが、間違いなく臨床力をつけることができると考えています。

若い人たちと話すのは好きです。私が直接指導医になることはないですが、応援はしていて、研修医とは早い段階で必ず飲みに行くことを、行事として決めています。若い医師と焼き鳥を食べながら、本音で話すのは楽しくて大好きです。若い人が来てくれることがうれしくって、毎年楽しみにしています。枠は7人なのですが、もっと来てほしいと考えているくらいです。

―学生時代について教えてください。

1984年に佐賀医科大学を卒業しましたが、実は1期生なんですよ。佐賀と大分と、高知が新設した時期でした。なので先輩はおらず、1番いばっていられました。当時は、教官や学長とも親しく付き合えたくらいの小さな学校です。教官はほとんど九大から来られた先生で、熊大や長崎、東京の先生もいたかな。仲睦まじく、ほのぼのとしていて楽しかった。自由にやらせてもらいました。ただ先輩がいない分、試験対策のノウハウが一切ないので、みんな真面目に講義を受けました。不真面目な方の私ですら講義に毎回出席していましたから(笑)、教官達は驚いていましたね。

鍋島という場所にあるのですが新設医大を作ったくらいですから、当時は非常に辺鄙(へんぴ)な場所でした。当時は規制地域で、大学の周囲の土地は買えなかったように思います。みんな農家に下宿して、通っていましたね。

僕は小倉高校の出身で、本来教員になろうと考えていました。人に教えることが好きだったんです。しかし1浪してしまい、勉強しているうちに成績が伸びたので、医学部を受けました。入った時の平均年齢は22・4だったらしいので、1浪の私は平均年齢を下げている方でしたね。浪人していなければ医師にはなっていませんし、そもそも母校が開校していませんでした。つまずきで今の仕事や多くの仲間に出会えましたし、人生って分からないものですね。

同期は102名ですが、いまだに仲が良く、北九州にも何人か同期がいます。公私でお付き合いがありますよ。同期の横山正俊先生は佐賀大学で産婦人科の教授になったのですが、北九州で専門的な講演をするというので、仲間たちと観に行きました。我々にはほとんど分からない内容ですけどね。もちろん、帰りには飲みに行って(笑)。同級生と話すのは楽しいですね。

―趣味は。

麻雀もやるし囲碁もやる。将棋も好きだしトランプも好きだから、ゲームは好きですね。今は全然やれないですけどね。 いま一番力を入れている趣味は、ゴルフですね。月に1回、医者仲間とゴルフに行きます。いつも負けていますけど。一番行くのは、当院の先生方とですね。他は妻と時々、ボーリングに行くくらいかなあ。


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