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創業50周年迎えた真田産婦人科 麻酔科クリニック

いつもそばにいる安心感があったんでしょうね。

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時に考え込み、時に笑う中でインタビューは進んだ(2月18日)

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【Profile】
1981九州大学医学部卒、同医学部附属病院産科婦人科研修医。
1982社会保険佐賀病院産婦人科医師、
1984北九州市立小倉病院産婦人科技術吏員、1989九州大学医学部助手。医学博士。
1990ハーバード大学マサチューセッツ総合病院研究員、以降、県立宮崎病院産婦人科医長、済生会福岡総合病院産婦人科主任部長、九州大学医学部産婦人科外来医長、九州大学病院講師などを経て、
2006真田産婦人科麻酔科クリニック副院長、
2009同理事長。
■日本産科婦人科学会専門医■日本臨床細胞学会専門医■母体保護法指定医■日本周産期・新生児医学会新生児蘇生法インストラクター。
福岡県医師会母子保健委員会委員、福岡市医師会常任理事、福岡博多東ライオンズクラブ会員。

理事長 産婦人科専門医 平川 俊夫

今から50年前の昭和37年(1962年)、福岡市東区名島に真田産婦人科医院が産声を上げた。院長は真田九州男前理事長。先祖ゆかりの地、生まれ故郷だった。

戦後の復興期に、戦地から帰った若い医師が続々と開業し、産婦人科医も次々に開業した。高度経済成長期にさしかかり、自宅出産から病院や診療所での出産に移り変わっていく時代に真田産婦人科医院はスタートした。

時代は90年代のバブル崩壊を経て低成長に。女性の社会進出、少子高齢、出産年齢の高齢化が進み、産婦人科診療も高度化、複雑していくとともに、産科医師の不足、後継者の不足も顕在化した。出産に備えて四六時中、病院に待機しておかねばならず、医療訴訟の筆頭格ともなったことで、他の科に比べて割が合わないと思われたからである。そんな社会背景の中で真田産婦人科医院は、今や東区の分娩数の27%を取り扱っている。

51年目を迎えた真田産婦人科に平川俊夫理事長を訪ね、今までとこれからを聞いた。

―東区の出産の3割近くを引き受けているということに驚かされます。

いくつか要素があると思います。1つは、常に病院にいたことじゃないでしょうか。病院を生活の場にして、旅行にも出かけないようにする。妊婦さんや家族の皆さんからいつも顔が見えているようにしたことで、「あそこだったら安心」という口コミが広がっていったようです。それが先代の時代。私の代になってからはホームページを立ち上げたり、多少の宣伝もしていますが、地域を大切にして地道にやってきたので、「真田産婦人科」ではなく「真田さんに行く」と言われますね。

2つ目は、代替わりがうまくいったことでしょうか。先代は大正14年生まれですが、昭和60年代になって、同年代の産科医がリタイアする際に親子継承が非常にむつかしかったんです。当時の産科医は1人で頑張っているような状況で、自分の時間などありませんでしたからね。さいわいなことに当院は先代の娘(現、平川万紀子院長=平川理事長の妻)が産婦人科医を継ぐ道を選びました。幼いころ「帝王切開」を、「手でおせっかいをすること」だと思っていたようです(笑)。

3つ目はやはり、九大の産婦人科から全面的なバックアップがあったことです。応援医師なども来てくれて、非常に幸運だったですね。そして職員に恵まれたこと。これらが積み重なって、今では親子2代、3代で出産された方が何組もいます。

―現在の体制はどうなっていますか。

個人クリニックにいる助産師は1人か2人のようですが、当院はパートもふくめて14人います。看護師は16人、そのほか臨床検査技師やメディカルスタッフ、栄養士、厨房、ティールーム担当、ハウスキーパー、事務職など、全員が万全の体制を敷いています。

―理事長は九大から来て、経営者として苦労されたんじゃないですか。

医師の中には稀に、経営者に向いている方もおられますが、ほとんどはその面で素人なんじゃないでしょうか。私も経営者として育ってきたわけじゃないですから、自分の力だけでやろうとはさらさら思っていなくて、ライオンズクラブでたくさんの経営者とつながりを作り、医師会とも関係を深くして、ネットワークの中で自分に合う助言をもらうようにしています。それが自分にとって新しい勉強にもなっていますね。

―一般企業の経営者はどのように目に映りますか。

これは新鮮ですね。なんと自分は小さい領域で生きてきたのだろうと思わされます。やはり社会は広いと痛感しますね。優秀な人が多いんですよ。

そういった人たちの集まりですから、経営を学ぶのに効率がいいと言いますか、特別な人も多くて、まあ楽しいですね(笑)。医者といるよりもっと面白くて刺激的です。それがいちばん、開業してよかったことでしょうか。自分の世界が広がることで、生活も広がりました。

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上は病院外観。院内にはプールやティールームもある。下は40 周年記念のスナップ。前列中央が創業者の真田九州男初代理事長。

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―今後の方針は。

安全の提供は無論のこと、将来的には「子育て中心の地域社会を作り、そこに産婦人科が関わっていく」という方向が考えられます。出産と子育ては、地域社会と密接な関係がありますからね。子育てで地域に力が湧いてくるような、「子育てサポート」という地域文化が大切になってくるでしょう。当院はそれを見据えて、今はまず、妊娠、出産、子育てを楽しんで ほしい。それらのよろこ びの場に、私や院長や、 全職員がいっしょにいら れる。それはとてもあり がたいことです。

―産科医として経営者と して、後輩に託す言葉が あるとすれば。

教授職や、病院の部長職、あるいは開業医としてなど、いろんな立場が あるでしょうが、そのあとに来るもの、社会にお返ししてほしいということでしょうか。私はそう思っていますね。大学や地域の基幹病院で学ばせてもらった技術や考え方をどう使うのかということです。それで財を成すというのは、この職業ではあまり考えられないことです。私自身も開業医となって、経営者団体や医師会との関わりが、まさしく社会へのお返し、直接的な社会貢献となっています。


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