生活保護の申請で役場を訪れた36歳の男性が、職員の説明が不十分だとの理由でつかみかかり、暴力の現行犯で逮捕された事件があった。
戦後、国民の権利は数えきれないほど増えたが、それによって人として大切な何かが失われていないだろうか。たとえば「清潔な環境に住む権利」を主張して関係各所に申し入れても、ほうきを持って家の前を掃くことをしない。「子供が教育を受ける権利を侵された」と学校に抗議はするが、毎晩子供に絵本を読んではやらない。
権利の行使が必要な人はもちろんいる。多くは緊急避難であり、弱者を救済するためである。しかし国民に与えられた権利はそこが明確ではなく、どれも平等だから、その気にさえなればだれでも関係機関に押しかけられる。権利を盾にすれば相手は引き下がるしかないのである。今の日本は権利をばらまいて、「勝手気ままに使える不自由さ」で混乱しているように見える。
権利を持ち出す際には情緒的な約束事も必要だ。権利の段階的活用や、「あなたに限っては権利と認めない」という文化があって当然だ。