医療法人春風会理事長 中村浩一郎
【Profile】
▼1985東京大学医学部卒業▼1986鹿児島大学医学部第三内科入局▼1987鹿児島医師会病院内科勤務▼1988鹿児島市立病院循環器内科勤務▼1988鹿児島大学医学部第三内科勤務▼1989宮崎県立宮崎病院神経内科勤務▼1991国立精神・神経センター神経研究所疾病研究第一部流動研究員▼1993東京大学医学部神経内科入局▼1994国立小児病院医療研究センター遺伝研究室レジデント▼1995東京大学医学部脳神経内科勤務▼1995東京大学医学部附属病院神経内科文部技官(教務職員)▼2001東京大学大学院医学系研究科脳神経医学専攻神経内科助手▼2006医療法人春風会理事長就任▼2010医療法人春風会理事長田上記念病院院長就任、現在に至る。■日本内科学会会員/日本神経内科学会会員/分子生物学会会員/日本リハビリテーション学会会員。
春風会は、慢性期医療が主体のグループだ。基幹となる田上記念病院のほかに、特養や老健、有料老人ホームを複数持ち、グループホームは19軒ある。田上記念病院の病床数は210。特養や老健を含めるとベット数は900に近い。現在は高齢者を診ることに特化しており、グループ内で起こる疾病にすばやく対応することを得意としているが、今後は外来の機能を強化し、急性期にも対応できるようにしたいという。
―春風会は理事長が作られたのですか?
先代の父が作りました。東大での研究が充実していましたし、帰ってくるつもりは全くなく、親父一代で終わるはずでした。遺伝子の研究をしていたんです。しかし当時の事務長や顧問弁護士が何度も来ましてね、1年以上説得されました。脊髄小脳変性症の17型という新しい病気も見つけたし、
学術誌トップジャーナルにも載せたし、学会で記念講演もしたし、ある程度は研究者として成果は出したかなと思ったので、引き受けました。それで、いきなり経営者ですよ!
親父は僕が帰ってから一ヶ月で死にましたし、業務面での引継ぎなんか一切受けませんでした。うれしそうでしたから、最後に孝行は出来たみたいですが(笑)。
2005年の12月、医局に辞表を出してこちらに戻ってくる最中に医療法が改正され、医療区分が導入されました。療養型病院に激震が走った事件です。このままではマズいと思いましたね。資金繰りも当時は火の車で、血液が循環しないショック状態みたいなものでした。「このままでは潰れる」というところまでいっていたので、借り入れなどにすぐさま奔走しました。
研究者で終わるはずでしたから、初めての経験でしたね。親父は事業欲が強く、グループを広げることに精力的で、僕には膨大な借金を残しました。主にやったのは銀行対策と、病棟改変ですね。回復期リハビリテーション病棟を作ったり、東京にあったグループホームを売却したりと手を打ち、今はかなり優良な状態だと思います。
研究というのは、小さな科学的事実の積み重ねですよね。エビデンスに基づいて次のステップを組み立てていく、知的なパズルです。
やってみて分かったんだけど、研究と経営は良く似ていますね。ともに知的な戦いであるということは、同じだと思っています。常に最新のエビデンスを積み重ねて、最新の情報を基にベストの解を素早く導き出すのが経営です。ただ物理化学現象と違うのは、外的要因の変化が大きく、そこを予測しながら戦わねばならないところですね。経営者になり、研究とあまりにも違うので戸惑ったということはありませんでした。
―縮小されたのですか?
いや、一つ売った以外は、僕も親父同様に拡張路線です(笑)。
増やすだけではなく、古い建物ばかりでハード的に見劣りしましたから、内装をやりなおしました。医療は客商売ですからね。アメニティが劣っていては勝負にならんと思いまして、内装等のインフラには資本投下しました。同時に人員の入れ替えと教育に力を入れました。
人を使うということは難しいことですが、研究者にもグループを引っ張る能力は必要とされることで、小さな研究チームを主導した経験が少しは役に立ったかなと思います。僕だけではなく、女房も経営には深く関わってくれていて、職員のコントロールを引き受けてくれています。二人三脚でやっている感じなのですが、「妻なしに今日はなかった」というのが本音です。「病院力」に問われるのは医療の質だけではありません。職員がグループ全体で900人を超える組織なので、人事問題は常にあります。適材を適所に配置すること、職員の成長を促す環境など難しい。それらをうまく処理できない組織は潰れますが、女房の管理がうまくいっています。
―今後の展望は。
孫子に「知彼知己百戦不殆」とありますが、経営に必要なこともこれですね。自分の能力を適切に評価して、敵の状況を確実に把握していれば負けないと。それが出来るかどうかが、経営の要だと思います。
いま当院(田上記念病院)は、高度急性期病院では平均在院日数が17日をきるようにという流れの中で、治りきっていない人々を受け容れるという役目を担っています。そうでないと、高度急性期病院は成り立ちません。そしてそのためには、受け取る方にも高度な医療の知識が要求されます。言わば当院は「高度慢性期病院」です。急性期病院に劣らない医療を目指しています。また治る病気ばかりではありませんから、看取りも含めたケアの部分にも、力を入れていきます。
郊外にあり、修養型の病院で外来の機能が弱いということが我々の弱点です。一般外来が増え、今では高齢者ばかりではなく若い方にも来ていただいていますが、多くはありません。高齢者を診るという観点からも、一般病棟を持っていないということは弱点です。
市街に急性期機能を持つ病院を作る戦略を練っています。「高齢者専門」のイメージもあるでしょうから、それを払拭する手も打たねばなりません。今後の課題です。