研修医に開業医の背中を見せて

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宮崎生協病院 院長 日高明義

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【Profile】
1979 鹿児島大学卒業
1979 谷山市民病院(現鹿児島生協病院)で研修開始
1981 徳之島診療所勤務
1983 慈恵会医科大学病院で病理の研修
1984 国立療養所南九州病院勤務
1988 鹿児島生協病院勤務
1997 宮崎生協病院院長

「当院の124床は、当院のものではなく、この地域の病床。開業医の先生が受け持つ患者さんに入院が必要な時、当院のベットを使ってもらっているんです」と日高院長は言った。ロビーには連携診療所の案内が並んでいる。すべて同じフォーマットで、宮崎生協病院が作ったものだ。地域連携はうまくいっているのだろう。

特別大きな病院ではないが、地域連携室という専門の部署を作り、特に力をいれているという。「だって、この病院だけでは地域の医療を支えることは出来ないですよ。こちらも地域の先生に頼れば、124床以上の力が出せる」と院長は笑った。

―こちらは臨床研修型病院だそうですね。

宮崎県内に臨床研修型病院は少ないんですよ。大学病院と、宮崎、延岡、日南にある3つの県立病院。これに古賀総合病院と我々の病院を加えて6つです。

初期研修義務化当初の2004年からの2年間は大学病院と県立宮崎病院の2つだけだったんです。選択肢が少なく、これでは宮崎県内に医師が残らない。

それで古賀総合病院などと話をして、民間としては我々が引き受けることにしました。枠は小さいですが、民間の病院が参加したことは大いに意味を持つと考えております。県立病院も2つ増えましたから、少し状況は改善されたのではないでしょうか。

―それは良かったですね。

はい。でも、それからは増えていないんですよ。もっと増えると良いなと、考えています。

受け容れられるところもあるとは思っているのですが医師研修ってお金がかかるんですよね。補助金は出るのですが、それ以上にお金がかかります。また県内は医師不足のため、指導する医師が不足しているというのもあるかも知れません。指導医も知識や技術をまとめねばならぬため、お互い学びあうことにはなりますが、新卒を育てるのは時間も手間もかかりますから。

当院の定員は今4人で、これ以上増やすと、せっかく来ていただいたのに教えることが出来ません。これが限界ですね。当院でも指導医を用意できないわけです。なので、研修医の受け入れ枠を増やすことは現状では出来ません。もっとも4人来たことはまだありません。希望者はいるのですが、全員が試験をパスするわけではないですから。

当院では専門家を育成しようということではなく、ジェネラル・フィジシャンを育てています。医師が将来の進路...専攻科を決める時は、自分の興味の分野だけで決めるのではなく、地域に求められる分野からの視点もとても大切なことだと考えています。「とにかく診てみる」そして、自分が出来なければ必要な専門家への交通整理をする。そういう意味では、全体的な先端医療の知識も知る必要があります。その上で、ジェネラルでありながら、自分の専門性を発揮できる分野を持つ医師が、今求められていると考えています。最終的には大学に残り、専門領域を深く追求する先生であっても、若い時に全部を診る現場に出る経験は、後に活きることだと思いますね。

―他県から帰ってくる先生もいますよね。

宮崎出身の先生は帰ってくる場合もありますが、そうでない場合はむつかしいようです。

若い先生が残るようにしないと、本当に宮崎の医療は悪くなると思います。一度出て行っちゃうとなかなか帰ってはきてくれません。福岡などに行くと、いろんな症例が診れますし、簡単にプロ野球を観戦に行くこともできますが、宮崎は今の寒い時期にキャンプでしか見れませんし、寒いからビールも美味しくない。年に数回、暑い時期に観る機会もありますが、交通網が発達していないので、ビールを飲めない。これじゃなかなか帰ってきませんよね。宮崎県は全国の経済活動の1%しか、受け持ってはいない県ですから、刺激のある文化が少ないんです。若い先生たちが休日にリフレッシュできる環境があれば、違ってくるかもしれません。

新しい臨床研修医の制度が始まって10年そこそこですが、宮崎にはちょうど30代や40代前半の医師が少ないんです。

ある程度の経験を積みつつ、若さも持っている、一番良い時期の医師とも言える年代が今いない。このしわ寄せが出てきています。大変な時期ですね。医師会の中で夜間急病センターというところを交代でやっているところもありますが、年をとるとこれがきつい。でも辞めるとまた他の先生の負担が増えてしまうわけで、働き盛りがいないことが、この交代制に影響してきていると思います。

後継者がいないと我々は頑張れない。だから当院は診療と、新しい人を育てる、という2つの柱を大事にしたいですね。これは県全体にとって良いことだと思いますし、教育熱心な先生方は皆同じ気持ちだと思います。「後輩を育てないと我々はゆっくりできない。年をとっても働かねばならない」と(笑)。

初期研修医が研修終了後、全員が当院に残らなくても構わないと考えています。宮崎県内で力を発揮できれば、同じ釡の飯を食った者として、連携がさらに強まると考えています。

当院は地域連携にも力を入れているのですが、研修医に開業医の仕事を見せ、勉強してもらうこともたびたびあります。地域の先生方も、若い人に育ってほしいという思いが強くありますから協力的ですね。1人で100人くらいの在宅の方を診ている開業医の先生がいて、すごく忙しい人なんですが、そんな先生でも研修医の面倒を見てくれます。ほかにもいろんな先生が研修医に期待している。

そういう先生方の背中を見ることも研修医にとっては良い刺激だと思います。

また、患者さんたちの生活を見れるということも大事です。例えば相手の経済状況も見ずに「この検査をしましょう、治療をしましょう」なんて言ってたら、もう病院に来なくなり、かえって悪化させることもあります。そういうことにまで気を配れる医師であるほうが、患者さんにとっては良いと思います。現場には医療以外にも様々な問題があります。それを経験して欲しいですね。

―先生は消化器が専門ですね。

僕は卒業した時、早く一人でやれる力を身に付けたかった。一人で有床診療所をやっていけるようになりたいと考えたんですね。それでしばらくして、鹿児島の離島に行き、一人で診療所をやっていました。そういうことが出来る時代だったんです。その後僕は、東京の慈恵会医科大学病院に病理の勉強に行ったんですよ。だけど病理は顕微鏡を覗いて患者さんと接しないので、合わなかった。それで今度は九州の国立療養所まで呼吸器の勉強に行ったんですよ。それで宮崎に帰って来た時に、担当を決めようとなって、病理をやっていて消化器が中心だったので、消化器を担当することになりました。だけど僕自身は、自分を内科医だと思っています。でも僕自身もまだまだだと思いますし、医学は常に進歩している。日々勉強ですね。

宮﨑キャンプが夏にあればいいのに

―気になっていましたが、もしかして野球が好きですか。

TVじゃつまらないですよね。一番いいのはラジオを持って中継を聞きながら球場で観ることですが、宮崎じゃラジオでやってないことが多いんですよね。3月の寒い日に縮こまって見てもビールも美味しくないですしね。

―宮崎に来る球団がご贔屓ってことですか。

宮崎に来てたのは元々ジャイアンツだけだからね。子供のころ、長島さんや王さんと一緒に写真を撮ってもらいました。彼らが新人のころですね。まだ大事に持っています。

福岡に野球観戦に行きたいのですが、気力がなかなか。宮崎からだと一泊が必要ですしね。宮崎のサンマリンスタジアムでも公式戦が年に数回あるんですが、平日が多く、時間が合わなくてなかなか行けないですね。そして車で行くからビールが飲めないでしょ。せっかくだからビールが飲めないとね。東京で病理の研究をしてたころは、後楽園や神宮に行っていました。当時は狭かったですよね。川崎球場は行かなかったなあ。

他の趣味としては、山登りがしたいですね。本当は走りたいと思うんですけど走れないんですよ。日頃から運動していないし、もう体力がない(笑)。何とかしたいですね。


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