維新志士の構想で生まれた病院

  • はてなブックマークに追加
  • Google Bookmarks に追加
  • Yahoo!ブックマークに登録
  • del.icio.us に登録
  • ライブドアクリップに追加
  • RSS
  • この記事についてTwitterでつぶやく

独立行政法人国立病院機構熊本医療センター 河野文夫院長

偶然のことである。「河野院長に会う」と知人に漏らしたところ、言伝てを頼まれた。知人は急性リンパ性白血病を患ったことがあり、「こんにち健常なのは、河野先生のおかげです」と言う。医師というのは患者に慕われ、感謝される職業だと知ってはいたが、記者には直接患者と接する機会が少なく、これ程とは思わなかった。もっともこのような関係を築ける医師は、知識や技術に優れているばかりではないだろう。今回はその河野院長に、熊本医療センターについてうかがってきた。明治期の動乱と共にあった病院の成り立ちを、種々の史料と共に解説していただいた。

031.jpg

【Profile】
昭和48年東京医科大学を卒業し同年熊本大学医学部付属病院研修医
▼昭和59年熊本大学医学部第2内科講師
▼昭和61年ミネソタ大学臨床腫瘍学部門留学
▼平成元年国立熊本病院内科医長
▼平成5年同臨床研究部長
▼平成16年国立病院機構熊本医療センター特命副院長
▼平成20年同副院長
▼平成24年独立行政法人国立病院機構熊本医療センター院長。
■熊本県医師会理事
■エジプト・スエズ運河大学医学部客員教授
■エジプト・ファイユーム大学医学部客員教授。

病院の住所は熊本市中央区二の丸。元々はお城の敷地なんですよね。熊本市は城下町ですから、歴史的にお城のまわりで様々なことが起こっていますし、この近辺の狭い範囲に施設は集中しています。

北里柴三郎や浜田玄達、緒方正規らが学んだ熊本医学校のあった場所や、熊本洋学校、マンスフェルト(熊本医学校で教鞭をとった医師)邸も当院の向かい側の古城町で、現在は県立高校の敷地になっています。そして当院もまた、熊本の歴史に大きく関わる病院なんですよ。

明治4年の8月に明治政府が不平士族の動乱に備えまして、東京、大阪、熊本、仙台の4箇所に鎮台を設けました。その時に大村益次郎の「近代的軍隊には病院を併設すべし」との構想から、熊本の鎮台にも鎮西鎮台兵団病院ができることになりますが、明治6年1月には熊本鎮台病院と改称されました。これが当院の前身ということになります。

と言っても実はこれがどこに設置されたのかは判かっておりません。記録がないんですよ。おそらく西南戦争のおりに焼かれたのでしょう。仙台では青葉城の中に仮の病院を作った記録がありますし、東京大阪にも有ったわけですから、なかったわけではないと思います。当院の下の方に花畑邸という細川藩の藩邸があったのですが、鎮台は当初そこに設置されていますので、ここに在ったのではないかと私は考えています。

そしてここからは記録が残っているのですが、フランス陸軍の指導により、今の場所に熊本鎮台病院が開設されたのが明治9年2月のことで、明治7年の8月に後の陸軍大将、児玉源太郎大尉が、准官参謀として大阪から移動してきているようです。

そして明治9年、10月に熊本では神風連の乱がおこります。先ず襲われた砲兵第6大隊が当院の南東側、それを迎え撃った歩兵第13連隊の駐屯地が当院北東側にあり、当院の両脇で戦闘が行われたことになります。この時に負傷した人々を収容したのが、当院なわけです。この当時の病院は国立名古屋病院の前身である名古屋鎮台病院と全く同じ設計図をもとに建てられており、名古屋鎮台病院は旧名古屋衛戍病院として犬山市明治村に保存されていますので、これを見れば今も当時の様子をうかがい知ることができます。

そしてその翌年明治10年に、西南戦争がおこるわけです。薩軍の桐野利秋(人斬り半次郎)などはもともと熊本の鎮台の司令長官ですから、戦うつもりはなかったようなんですけどね。この戦いにも当院は否応なく巻き込まれました。当院の西側を走る法華坂が難攻不落を誇る熊本城のウイークポイントで、ここも激戦地の一つに数えられています。

032.jpg

▲広大な駐車場にある大楠。院長によると、楠が在るのは細川藩家老有吉氏の邸宅があった場所とのこと。左に熊本城大小天守が見える。
▼熊本医療センターの西側に、神風連首領が自刃した法華坂はある。この石碑は、業者用搬入口のすぐ脇に建てられている。

033.jpg

この後、熊本衛戍(えいじゅ)病院、熊本第一陸軍病院と名を変え、戦後は国立熊本病院。そして平成16年から独立行政法人国立病院機構熊本医療センターと名を改めて現在にいたるわけです。 現在当院は附属の看護学校を持っています。私もここで講義をすることがありますが、これらの話は必ず1回はするようにしていますね。

現在の病床数は一般500床精神50床の計550床。個室が132室、うち有料個室が107。病床利用率は90%前後でしょうかね。新入院患者は月に1千150名ほどで、在院日数は平均で13日をきるくらいです。一日の外来患者数は650名ほど。職員は常勤非常勤含めて1千人近くいるわけですけど、これに委託を含めて1千150名、医者だけだと研修医とレジデントを合わせて156名が勤めております。医師の常勤は90名ですね。

大きな病院なのでいろいろやっているんですが、高度先進医療としては特に、循環器内科が血管新生療法というのをやっています。骨髄から細胞を採り、それを細胞だけに濃縮し、患部に注射します。そうすると血管が増えるというわけです。壊死していた部分がきれいに治るんですね。

それから私の専門でもあるのですが、県内唯一の骨髄移植センターも当院の看板で、無菌病棟個室17床と非常に大きなものです。造血幹細胞移植は年間50件ほどで、現在同種510例、自家移植を足すと700例を超えます。特に造血幹細胞移植特に末梢血の同種移植は233例と、国立がん研究センターに次いで全国2位の実績があります(昨年8月までのデータ)。骨髄バンクには、これまでに150件ほど渡しています。

また内視鏡による手術を熊本県内で最初に導入したのも当院なんです。なので伝統的に鏡視下手術には強い病院です。 手術は5千例を目標にやっていますが、一昨年は4千700件ほどでしたね。

救命救急センターが当院一番の看板なんですが、救急医療には力を入れており、救急車の搬入台数は年8千台ほど。一昨年6月にはヘリポートも完成し、ヘリ救急医療も開始しました。一般救命が44床、ICU6床、計50床と非常に力を入れています。当院は救急患者の受け入れを拒否したことがなく、救急医療の確保に貢献したことで、平成20年に第21回人事院総裁賞を、平成24年度は救急医療功労者厚生労働大臣表彰をいただきました。
(聞き手と写真=平増)


九州医事新報社ではライター(編集職)を募集しています

九州初の地下鉄駅直結タワー|Brillia Tower西新 来場予約受付中

九州医事新報社ブログ

読者アンケートにご協力ください

バングラデシュに看護学校を建てるプロジェクト

人体にも環境にも優しい天然素材で作られた枕で快適な眠りを。100%天然素材のラテックス枕NEMCA

暮らし継がれる家|三井ホーム

一般社団法人メディワーククリエイト

日本赤十字社

全国骨髄バンク推進連絡協議会

今月の1冊

編集担当者が毎月オススメの書籍を紹介していくコーナーです。

【今月の1冊, 今月の一冊】
イメージ:今月の1冊 - 88. AI vs. 教科書が読めない 子どもたち

Twitter


ページ上部へ戻る