若い医師には救急医療の現場を経験してほしい。

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新別府病院院長 中村夏樹

中村院長は、別府市近郊の救急医療に大きく貢献したとして昨年、救急功労者表彰式で総務大臣表彰を受けた。記者は「救急医療の専門家」との先入観を持たずに取材に臨んだが、やはり救急の話題が中心になった。これは、新別府病院の変革を語るうえで欠かせない要素であり、院長と病院との出会いに関わるキーワードでもあった。

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【Profile】
1978 熊本大学医学部を卒業し熊本大学医学部内科学第3講座入局
■1981 熊本大学医学部附属病院救急部・集中治療部出向
■1984 熊本大学医学部附属病院循環器内科へ移局
■1987 新別府病院入職/循環器科医長兼CCU医長
■1998 同循環器科部長兼集中治療室室長
■2004 同診療部長兼救急部集中治療部部長
■2005 同副院長兼救急部集中治療部部長
■2006 同病院長、 現在に至る。

九州ホスピタルショウ2012の取材の際、先生のお名前が格好いいと社内で話題になったのですが、夏生まれなんでしょうか。

はい、6月の夏生まれです。熊本の親父が、夏に真っ直ぐと伸びる樹木をイメージしてつけてくれました。僕は熊本から38の時に別府に来て、26年もずっとここにおるんですが、生まれも育ちも本来熊本なんですよ(笑)。

―昨日熊本医療センターを取材しました。

血液がご専門の河野院長ですね。野村一俊副院長は小学校の同級生です。僕は卒業した時から臨床、特に救急や集中治療に興味を持っていました。熊大病院時代に1年間ICUに出向していましたが、ここで重症患者を救う意味を教えてもらいました。当時熊大のICUはそういう意識が高かったですからね。

僕は循環器をやっていましたが、前の院長がこの病院でも救急をやると言い、脳外科と循環器の医者を探しておりました。昭和59年に脳外科がまず入り、62年に今でいう心カテ、冠動脈造影検査が出来る人間が要るということで僕が呼ばれたんです。僕としては、心カテを軌道に乗せたら帰るつもり、2〜3年のつもりでね。しかし一生懸命になり過ぎちゃって、自分の首をしめた結果になり(笑)、帰れなくなってしまった。僕の4人の子供たちには、ここがもう故郷みたいになっています。もちろん僕も今は愛着を持っていますよ。

病院について教えてください。

当院は昭和30年に開院したんですけれども、国家公務員共済組合ですから、国家公務員の療養が主目的の病院で、当時は200床の結核専用病院だったらしいです。そういうわけで初代の病院長は呼吸器が専門だったわけですけど、結核患者が今後減るということを専門家だから分かっていたんでしょうね。初代が病床改革を続けられ、204床の一般病床に改変されました。それが昭和55年ですから、25年かかっていることになります。59年に2代目の院長に代わり、当院が地域の中で大きくなっていったのはそれからですね。

初代は結核から転換するという先見の明を持たれていましたが、2代目は救急医療の重要性に気付かれていた。就任した年にもう脳外科を作っているわけですから、仕事が速いですよね。県北では初めて脳外科の手術をした病院になるのではないでしょうか。そうしてスタッフを集めている過程で、カテーテル装置を扱える医者として僕も呼ばれたわけです。これはこのころ急激に進んだ技術で、心筋梗塞の急性期治療(血栓溶解療法など)ができるようになりました。家内は転居を何回かしたことがあったので、別府に移ることに抵抗はなかったらしいですが、僕は熊本から離れたくなかったし、考えましたね。

そのころCTやMRIなどの医療機器を導入もし、高度な医療で地域に認められるようになったと思います。

そうして僕が3代目の院長ということになります。先日創立57年だったのですが、57年で院長が3人というのは珍しいですよね。2代目が23年間、僕に代わって6年目です。

ずっと現場の人間としてやってきましたから、現場の気持ちや言い分が解かり過ぎるのが、院長としての欠点かもしれません(笑)。思わず「そうだよなあ」なんて言ってしまったり。

いま力を入れているのはやっぱり救急ですね。各診療科に関しては、各部長に任せて高度で先進的な医療をやってもらうことにしていますが、病院としてはやはり救急です。2代目の院長が救急に関わるスタッフを広く集められたから、病院自体にそういう気概があります。もともとそういう目的で呼ばれた医者が沢山いますからね。僕も人員集めは熱心にしているつもりですが、その点2代目はすごかったなあと改めて感じています。平成21年から救命救急センターを挙げ、ICUも作って、今ERとICUとHCUに看護師が50人くらいはいます。予算の都合で部長時代には専門の看護師を揃えることが出来ませんでしたが、今は救急の現場を知る僕が力を入れてやっています。

―若い医者に望むことは。

医者の使命は重症患者を助けることだと考えています。そういう意味では、基礎研究を発展させることももちろん重要ですが、僕は若い人にはまず臨床に力を入れてほしいなと思っています。医者は若いうちに患者の診方を勉強してほしい。そのためには救急医療と集中治療をやるのが一番だと思います。一度救急を経験して、人を救うことの意義や、やりがいを感じてほしいですね。山中伸弥教授が「ビジョン&ハードワーク」と言っていましたが、ただ働くだけでなく、ビジョンを持って、しかもハードに働くことが大事だと僕も思います。僕が好きでやってきたから、若い先生にも救急には興味を持って欲しいですね。


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