故郷の医療を守りたくて

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社会医療法人 社団 大久保病院 大久保健作理事長

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【Profile】
1948 年2 月6 日生まれ
1978 年北里大学医学部卒
北里大学病院、大分医科大学病院、国立大分病院、大分県立三重病院を経て、現在、社会医療法人社団 大久保病院院長
●大分県介護老人保健施設協会会長

私は3代目で、初代は祖父(おふくろの親父)なんですが、後取りの伯父が交通事故で亡くなっちゃったんですよ。それでこの町(直入郡久住町=現在は竹田市に合併)に病院がなくなるというので、慶応大学病院にいた父親が急きょ帰ってきたわけです。父は肺癌をずっと専門にやりたかったみたいなんですけどね。

親父は「田舎と都会の医療に大きな差があってはいかん」という考え方でやっていましたので、私もその理念で病院を経営しています。

小学生のころから学校の先生に、「無医村にはしないでくれよ」とよく言われていましたので、小さなころから医者になろうと考えていたんですが、5年浪人してやっと北里大学に拾ってもらえました(笑)。その時は、これでやっと医者になれると、ありがたく思ったし、うれしかったですね。

当時の北里大学医学部はまだ新しい学校で、私は2回生です。教授たちも若く、どこを向いても新進気鋭の先生ばかりでしたから、校風も自然と新しい感じでした。新設だったこともあり、医師になって1年目からいろいろ任せてくれましたし、自主性を重んじてくれましたので他の大学とは異なる風土で学んだんじゃないかと考えています。手術もたくさんやらせてくれましたね。手術は短期間で数多く経験すればうまくなりますし、ありがたかったです。そこでその当時北里におられた九州労災病院の糸満盛憲院長や、地下鉄サリン事件を担当された前川和彦先生、現横浜市病院経営局病院事業管理者の高橋俊毅先生、そして特に北里大学名誉教授の比企能樹先生など、尊敬できる多くの先生方に師事して、医学や医者としての心構えを学びました。

そうして外科医になったんですけど、久住町で医療をやりたいという気持ちは当然ありましたが、救急医療なんかが面白くてですね。ついつい大学病院の生活が長引いてしまいました。おふくろは帰って来いとずっと言っていましたが、親父は何も言いませんでした。だけど私が帰ってきたことを、すごく喜んでくれただろうなと思います。

医院でやるのも良いと考えましたが、手術などのことを考えると、病院という体制でやるのがこの町で医療を提供するのに一番良いと考えました。でも採算性ということでずいぶん悩みましたね。久住町は4千700人くらいしか住んでない小さな町ですから、「旧竹田市に出てやった方が良いのではないか」など、立地のことだけでもしばらく考えました。コンサルタントを入れたんですが、ここで病院経営は無理だろうと言われました。でも結局私はこの町の人に育ててもらいましたから、この町に建てようと思ったんです。それが昭和59年のことです。

現在は136床ありますが、当時は28床の病院でした。親父と弟たちと少しずつスタッフを集め、少しずつベットも増やしていきました。今は老健を含めて常勤10人のドクターがいます。それでも足りないので、大分大学や九大別府病院から日に2人ほど外来にきてもらっています。

また経営のために、病院機能評価を取得し、社会医療法人化するなど、質を落とさずにこの町の医療を守る工夫を考えています。いま竹田市は42%くらいと日本でもトップクラスの高齢化率なんですが、1千人以上住んでいる集落でも半径5㌖以内に介護施設も医療施設もない場所がたくさんあり、そこに住んでいる高齢の方にどう対応するか、ということが今の課題ですね。

大学からドクターに来てもらっていますが、大学は総合医を育てるというよりも専門医を育てる場所です。だから若いドクターたちに来てもらうためには、専門医を育てる病院であることも求められます。この町の医療を崩壊させないためには、派遣してもらうための努力も必要ですね。

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写真上=院長の祖父である先々代の大場亀吉先生像。下=国立公園に近いため、外観は目立たないデザインにしたとか。

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1人の医師が1人の患者さんを診るのには限度がありますが、3人で3人の患者さんを診るようにすると、医療としての量質共に高いものになります。1人のスーパードクターが診るよりも、若い3人のドクターがチームで診る方が見落としが少なくなると思っています。特に竹田市の人口比率では1人のドクターが1千人くらいを診なきゃいけませんからね。だからドクターのチーム化は、この病院にとって重要なことだと思いますね。

自分から進んでアイデアを出して率先する職員は大事にしたいですね。分からないところを相談しやすい環境にしているつもりですし、勉強したい人は言ってくれればどこにでも研修に出す用意はあります。また、私が間違っていれば言えるような環境にはしているつもりです。私も新卒の時そういう環境で学んでありがたかったので、職員たちにもその環境を与えてあげたいと考えています。最終的な決定と責任は私ですが、ボトムアップ環境でありたいですね。国の政策も変わりますし、経営に関しても それにあわせながら 随時軌道修正をしていかなければなりませんが、職員の意見を取り入れたいです。

そして私の病院では、仕事と私生活の調和がとれた職場環境でなければならないと考えています。自分が何のために医者になったのかを考えると、それはこの町の人々の健康を守るためですが、それには先ず職員を大事にしていかないと、病院はやっていけませんからね。

竹田市の小中学生は昔から足が速くてですね、かけっこの全国大会で優勝したりするんですよ。今でも県で追随を許さないくらい速い。ところが高校生ぐらいになってくると名前の残る人がほとんどいないわけです。スポーツに関する資質はあるんでしょうから、もったいないですよね。それならばと、今のエビデンスに基づいたスポーツのことを教えようと、職員たちの提案でメディカルサポートチームを作りました。私が学校医だったんで話が通りやすかったんですね。学校のクラブ活動に出向いていって、体操の仕方やテーピングの仕方、熱中症対策の水の摂り方などを教えたりしています。私も参加したことがありますよ。子供が好きだし、スポーツも好きだし、教えた子供たちが活躍するのは見ていて楽しいですね。将来的にはオリンピックに出るような選手がこの地域から出てくれないかと、楽しみです。

私の還暦祝いに女房がトイプードルをプレゼントしてくれたんですが、田中信行先生(元鹿児島大学病院長)が遊びに来た時に「雌で生まれたんだから1回くらいお産させてやらなきゃかわいそうだ」と言われたので、先日4歳でお産させたんですよ。妊娠したので獣医さんに超音波で診てもらったら、「影は4つあるが、生まれるのは3匹くらいでしょう」と言われたんです。そして「あと2週間くらいで生まれるから、もう連れてこなくていいですよ」なんて言うもんで、びっくりしちゃって。人間の産科と違ってお産はやってくれないんですね。それで仕方なく僕が大学時代の実習を思い出しながらとり上げました。明け方に4匹無事に生まれたんで、片付けていたら5匹目を産み始めちゃって、あわてて取り上げました。眠かったので、そのあと寝たんですが、女房に起こされたら全部で6匹も生まれていました!。 最初の1匹はへその緒が首に巻き付いていたんであわてて切って助けたんですが、どうも情がわいちゃいましてね。ほかは里子に出したんですが、この1匹だけは手元に残しています。


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