杵築市立山香病院 院長兼病院事業管理者 内納正一
脊柱管狭窄症や頸椎症性脊髄症など背骨の治療を専門的に行う「せぼねセンター」を備える杵築市立山香病院。内納正一院長は、平成23年4月から全国最年少の病院事業管理者を兼任する。病院の責任が重くなり、病院経営の健全化が求められる中、自治体病院として地域医療を守り、特色のある病院づくりに挑戦する内納院長に聞いた。
せぼねセンターについて
地域医療は不採算部門を抱えており、国の交付税や市からの繰り入れも含めてプラスアルファが無いと、地域医療を維持していくのは難しいという実情があります。
当院はせぼねセンターが収益のおよそ6割を占めており、市の一般財源からの繰り入れも一切なく、不採算部門にも手を出せるのです。
杵築市の人口は3万2千人で、この医療圏だけで病院経営を行なっていくのは困難です。当院のせぼねセンターに来る患者は、8割が杵築市外からで患者同士の口コミで、遠くは千葉や神奈川から来る方もいます。都市部でしっかりした診療をされている医師は多いですが、地方にも脊椎の専門家の医師は多いのです。
当院の脊椎疾患の手術件数は、今年度はおよそ480件を見込んでいます。特色を出して頑張っている病院があることを知る若い医師も多く、実習を希望する方もたくさんいます。
平成8年から10年まで赴任した後、平成13年から再びこの病院で診療をしてきましたが、平成17年の市町村合併のころに大学に戻ってこないかとの話がありました。
そんな中、旧山香町の町長や議員の方々から、山香に残ってこの地域の医療を守ってほしいと言われました。そこで、その想いに応えるためにも、特色ある病院として「せぼねセンター」を作ったらどうかと提案しました。
当時、脊椎の手術件数が年間で300例を越えていたたため病院関係者も賛同し、多くの関係者の協力があったからこそ、今日のせぼねセンターがあるのです。
日本が高齢化社会を迎えるなかで、整形外科の中では脊椎疾患が大きなウェイトを占めていくこともセンター設置の理由の1つです。私自身は、大学の脊椎グループで研究に携わり、福岡県飯塚市のせき損センターで芝啓一郎院長や植田尊善副院長の下、脊椎の専門医としての道を歩んできました。
中津出身ですので、地元の大分で背骨に一生懸命に取り組める病院を求め、当院に来た次第です。大規模な病院だと、どうしてもベッド数の割当などの環境的な制限がありますが、ここならある程度自分がリーダーシップをとって自分が考える正しいことができると思ったのです。
さいわいなことに病院のハード面は整っているので、不十分であったソフト面の充実を図らねばなりません。また、患者への内容的な充実を図るためには、手術だけではなく、医師、コ・メディカルスタッフら病院全体としての取り組みをレベルアップして、地域包括ケアの充実の観点からはせぼねと共に内科の充実が必要不可欠です。地域包括医療ケアとせぼねセンターを二本柱として、さらなる専門性を備えた特色ある病院を目指しています。まだ白紙ですが、本館は30年経つのでリハビリテーションテーションセンターを備えた病院を新築したいですね。
私の考える地域医療
地域医療とは、地域の住民が安心して医療を受けられる病院があることではないでしょうか。
もしもこの病院がなくなったとして、地域の住民が都市部の病院まで行くのは現実にはむずかしいことです。ここに病院があること、そして、ここにある病院が地域住民にどんな医療を還元できるのかが地域医療だと考えています。特色ある病院作りの一環として、ゆくゆくは旧山香町を全国的にも知られる福祉の町にしたいと思います。
まだまだこれからですが、若いからこそいろんなことにチャレンジできるし、若いドクターとも近い距離でコミュニケーションをとりつつ、今あるものを大事にしながら、自分の信じる正しいことをするために、新しい取り組みを続けていきたいですね。
- 内納正一(うちのう・しょういち)
- 1987―大分医科大学入学
- 1993―大分医科大学(現大分大学)整形外科入局
- 1995―九州労災病院整形外科
- 1996―山香町立国保総合病院 整形外科
- 1998―大分医科大学整形外科
- 2000―総合せき損センター整形外科
- 2001―山香町立国保総合病院整形外科
- 2003―同整形外科部長
- 2005―杵築市立山香病院へ改称
- 2006―同副院長
- 2007―同副院長(兼せぼねセンター長)
- 2010―同院長
- 2011―同病院事業管理者兼院長
- 現在に至る