シリーズ”病院長に聞く” つらさをおもしろさに

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国立病院機構 九州医療センター院長村中 光

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Profile
医学博士(九州大学医学部)医学放射線学会専門医 消化器病学会 専門医・指導医 消化器内視鏡学会専門医・指導医
■1976―九州大学医学部を卒業し同放射線科入局
1980―同文部共感助手
1992―国立病院九州医療センター放射線科医長
1998―九州大学医学部併任講師
2003―国立病院機構九州医療センター臨床研究部長
2008―同臨床研究センター長を経て2010年から同院長
2012―国立病院機構九州ブロック担当理事

話題の豊富な人である。国立病院機構の特殊性や、医療を取り巻く政治経済の話など、どれも興味深かった。ここではインタビュー後半の要旨を紹介するが、今の日本に顕在化しているさまざまな危うさについて「もの言わぬ人たちが、依然として日本の主流だと信じている」の言葉が印象的だった。

―医師として、人生の経験者として、今の時代をどう読み解きますか―

人それぞれ能力に差はあるけれども、最近は殺伐として自分の能力が発揮しにくい時代です。また、価値観が多様化し過ぎているために、一人一人の役割分担が細かくなり過ぎて、影響をおよぼしにくくなっている。

医療でも、医療の質というのがなかなかむつかしくて、たとえば技術的にすごく上手だというだけでは話が済まないんですが、そちらに走りがち。病気を診断したり治療をしたりという作業は、まず人間をみるところから始まるんですよ。その人を診て、病気であると診断しても、その病気はその人の人間性だとか、置かれている社会環境だとかによってそれぞれ違うので、最適な治療も違うわけですよ。そして最適な治療は、最新の治療ではないですよね。

診る側はすべての手段を持っておく必要がある。そして、その人の病気と、置かれている環境と、生き方、あるいは死生観など全部含めて、いちばん適した治療は何だろうかというのを、選択肢の中から考えて提示してあげる。そしてお互いが決める、という作業ですよね。

そういう作業をするためには医学的な知識が充分なければいけないし、人間的な哲学もないといかんし、人間の気持ちや心に対する幅広い許容性も必要とされるし、そういったものを全部持った人じゃないと、きちんとした役割りを果たしづらいというのは普遍的事実です。それだけ完璧な人はいないけど、そうなろうと思って努力するわけですよ。

―それを目指そうとする医師は多いんですか―

昔の医師にはそういったことが漠然とあったし、選択肢も手段も少なかったので、自分の幅に入り切ったけれども、今は求められるものが大きくなり過ぎて、それを全部やるにはスーパーマンにならなければならないくらいのボリュームになってきた。それがちゃんとできるのはごく限られた人になっているというのが事実でしょう。死生観一つとっても、全体を包むイメージとしては一つでも、それに影響する因子がとても増えています。

―医師を目指そうとする人に助言するとすれば―

ご飯を食べるためだけに医者にならないでくれ、ということです。医者という職業を選ぶからには、医者をまっとうしてほしい。どんな医者を目指すかが大切で、その結果として経済がついてくるでしょうから、算術に走るのはさみしいですね。

医者としてやるべきことはたくさんあり、それをまっとうすることへの対価というものは、さまざまな場所で、程度はいろいろでしょうが、食うに困ることはないでしょう。やっぱり、それを好きになってほしい。

―好きになる、ですか―

自分の働く環境は自分で変えるものだと、若い職員によく言います。

与えられた環境や制度のまずさに対して意見があるのはいいとしても、「だからできません」というのでは、その中で生きていかざるをえないわけですから、どうすれば改善できるか、自分のできる範囲はどこまでか、というようなことを考えなければ、楽しい状況は出てこないです。

仕事として考えるとつらいことでも、趣味なら三食忘れても何の苦にもならない。自分の好きなことに夢中になっていたら寝るのも忘れ、その状態を「がんばってます」とは言わないでしょう。好きだからしょうがないわけです。医者の世界もそういうところがあり、はたから見れば苛酷でも、いろんなことが分るようになったら、それが楽しく、おもしろい。

―きついほどおもしろいというのは大切ですね―

だからそうなるところまでは我慢してがんばらなければいけない。でもある時から、ちらっとおもしろさが見えはじめると、自分のものになってくるのが分ってくるし、成果も分かる。好きになると少々のことはつらいと思わず、むしろ楽しい。

―医師の場合は死に直面することもありますが―

それは避けて通れない話だよね。でも、医者が傲慢(ごうまん)になってはいけないのは、命を助けるなんていうのは到底できない。運命的に命はなくなっていくから、それに対する手助けをどんなふうにしてやるか、定められた期間、その人といっしょに、どう死を迎える手助けをするかという考え方だから、「助からない命を助けます」なんて話にはならない。

哲学的に言うと、医療が介在するのはどこまでなんだろうというのが永遠のテーマとしてあるわけです。人間というものは自然の中に生きている生き物だから、全体のかかわりの中で生かされているので、人間だけを不自然に生かし続けることが自然界の摂理に照らしていいことなのか、ということにもなってきます。そこまでして人間は何を得るんだろう、本当にその人のためになると思ってやっているのだろうか、ひょっとして自分の栄達のために善のごとく振る舞っているのではないだろうかと、そういうことをよく考えますね。そのラインはどこまでかというのは、なかなかむつかしいところですが。

―巻頭言(九州医療センターニュース7月号)に、西洋思想と東洋思想について書かれていました―

世界はいま西洋医学が席巻しています。西洋医学というのは、物を物としてすべて分解する。病気を科学的に立証しようとする学問ですよ。構造自体を理論的に考えるから、科学がすごく入りやすい。東洋医学というのは、物として考えません。全体をバランスとして考えるので、病態は自然のかかわりをすべて含めて、そのバランスが何かおかしくなった状態なので、そのバランスを取り戻すために、全体の調整をどうすればいいかという考え方です。

西洋医学はものを部品として考えるので、悪いところは取ったり交換したりすればいいというやり方なんだけど、東洋医学は、全体が悪いからここに問題が生じているわけで、そこだけを取り替えれば済む話じゃないという考え方です。

産業革命以降、西洋思想が大きな力を発揮してきたのも事実ですが、一方で東洋思想も、自然とのかかわりでもう少し取り入れる必要があると考えてみる時に来ているでしょうね。

西洋型の社会が行き詰まり、競争ばかりやっていても成り立たないという考え方の中で、今は世界のトップと言われる会社で幹部級の教育に、東洋思想が必須科目として入ってきて、すごく感動を受けているようですが、殺伐とした現代に、理屈だけではない曖昧模糊としたもの、歩み寄りや遊びの部分が入ってくれば、世の中はもう少し暮らしやすくなるでしょうね。

人間は機械じゃないから、突っ走り過ぎたことをちょっと見直せば、無駄やゆとりが寛容さにつながることに気がつくかもしれません。自分の幸せについて、今一度じっくり考えてみる時期が来ているように思います。

(聞き手=川本、綾部)


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