シリーズ”病院長に聞く” 医師とした誕生した瞬間があった

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福岡市医師会成人病センター 院長 壁村哲平

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1982-順天堂大学医学部を卒業し九州大学第3内科入局。
2003-済生会福岡総合病院副院長。
2006-福岡市医師会理事(現在)
2012-現職。

日本消化器病学会専門医指導医:日本消化器内視鏡学会専門医指導医:日本体育協会スポーツドクター

―今年4月に院長に着任して、大幅な体制変更をされたそうですね。

管理職を中心に1人ずつ面談し、組織のあり方や組織図も変え、責任をきちんと取る体制を確立しました。良い病院を目指す過程で多少やりにくい部分がでるかもしれない。もし私についてきたくないなら、いつでも相談に来てほしいと職員に伝えました。

こちらに来た当初、スタッフに「接遇のよい病院にするにはどうしたらよいか」と訊くと「あいさつをすること」と言います。でも、あいさつの基本は、そこにあなたがいますという眼差しがあるかどうかだと思います。もっと言えば、自分の家族をつれて来れるような病院がもっとも接遇が良い病院と言えるでしょう。患者その人がいることを認知して、その人自身への眼差しをもつことです。

みんなの意思を統一して変化を起こすことが必要です。個々のスタッフの力はどんなに大きな病院にも決して劣りませんから、能力を結集して患者のために知恵を絞れと指示しています。少しはスタッフの顔色は変わったのかなと思いますが、これからです。

―医師となるためにもっとも必要なことは。

私は九州労災病院で医師としてのスタートを切りましたが、研修医のころに28歳の重い腫瘍の方を担当した経験は今も忘れられません。

化学治療を選択したのですが同意をなかなかもらえず、やっと説得できたのに1度薬を使ったら、つらくてもういやだと言うのです。現在では副作用を抑えることも進んでいますが、当時の薬は副作用で毛が抜け、嘔吐感などもつらかった。その患者は転移もあったのですが、1度目の化学療法のあと、画像上では腫瘍が消えました。でも、継続的に使う必要があるのに、2回目の治療を受け入れてくれませんでした。

寒い時期のある日、看護師が私に「部屋に行ったら驚きますよ」とささやくのです。6人部屋でしたが、行ってみると年配の5人の入院患者が、丸坊主でベッドの上に正座して私の来室を待っていました。化学療法を拒む患者に治療を続けてほしくて「がんばれ」と応援していたのです。

―それは感動的な経験でしたね。

回診で患者に笑ってほしいといつも思っています。病室で患者の前に座り、「おいちゃん、食事どうね? おいしい?」、「うん、おいしいばい」という会話が交わせたら、回診の時の患者のよろこびになるんじゃないかなと思っています。 病んでいる人への接遇が充足することはありません。これだけの愛情をかけたのだから十分ということもありません。超急性期の医療もあれば、リハビリ的治療もある。治療のあり方はそれぞれ違います。それなのに若い医師は、自分がどこに向かうかもわからずに、急性期の医療ばかりを学んでいる。若い人には学び方をきちんと伝えるべきです。変わるのがたとえ10年後であっても、そのための材料は与えておかないといけません。

ずっと医療の現場にいて、患者ではなく疾患を診ている医師が多いように思います。退院する人がどこへ帰って誰が面倒をみて、食事は作れるのか、どういう生活環境なのか、などに思いが至らない。若い医師たちもたくさん入ってきて、やはり知識はあるが何かが足りない。僕は「お前らは愛情がないなぁ」と表現していましたが。

自分の眼差しが問われるんです

―時代の変化が医師も変えているのでしょうか。

絆もとても大切ですが、広い視野や、まわりを注意深く見る目があれば、おのずと相手をいたわる心が眼差しに現れるはずなのに、自分さえ良ければという姿勢が問題ではないかと思います。病院は病んだ人が来る場所です。医療人は、病気だけでなく、人をみること、そういう眼差しがあれば必要なことが見えてくるはずです。医師には技術と知識のほかに必要なものがあるでしょう。そういうマインドをもたなければ、医師免許をもつだけの人に過ぎません。今まで以上に、全体をみる能力が必要な時代だと思います。

―日本全体が視野の狭い方に向かっているのでは。

日本人は競争させない教育を受け続けてきました。同じ答えしか認めず、人と違うことをした時に、それはいけない、となってしまう。自分の意思でものをみて、考えて、評価するのでなく、他人がみたらこうみえるから、自分もそうしなければならないという思考回路になっている。評価がどうかではなく、自分はこう思うからこうだという部分がない。他人の判断・尺度でものをみすぎです。

―来年で開院50周年ですが、今後50年の計は。

病院のあり方がどう変わっていくかは想像しにくいですね。すでに薬屋にはインフルエンザキットも妊娠キットも売っているし、将来もそういう製剤が増えるから、開業医がどんな役割を果たすのかがわからなければ病院の未来もわかりません。当院は福岡市医師会立の病院なので、開業医に即応できる病院として、いろんなものを提供できる体力がないと生き残れないでしょう。少なくとも30年後を見据えないで次の時代を見通すのは困難です。

30年後は死ぬ場所がない時代になり、家庭医・総合医の確保が必要だし、誰が介護するのかという問題も起きます。女性は100歳、男性は90歳まで元気に生きる時代が来ますから、それを設計した病院のあり方を考えなければなりません。

―医師を目指した理由は。

父は大分県の県会議長をつとめた人で、今でも口やかましいです。いっしょにいたら政治家になれなんて言い兼ねませんから、親のいないところで個として認められる存在になろうと。だから漠然と医者になった感も正直ありますが、なったからには自分の医師像を大きくしたい。本当は管理職にもなりたくありませんでしたが、その意志に反してどんどん管理職の場に追いやられてしまいました(笑)。


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