前回は私の師匠、建築家・丹下健三先生の話であったが、幸いに私は素晴らしい先生に恵まれてきた。今回は、もう一人薫陶を受けた安藤忠雄先生の話である。
安藤先生はご存じの方も多いと思う。大学も行かず、プロボクサーだったこともあるという異色の経歴であるが、先生が東大教授をされていたとき、私は部下として二年間ほど一緒に学生の指導をする機会に恵まれた。今でも折に触れてお目にかかっている。
十年前のある日、本郷で二年生の最初の製図の授業で、安藤先生がたまたま大学にいらっしゃったので、授業担当の私は「初めて製図を学んでいる学生なので気合を入れてください」とお願いすると、「わかった。後で行くで」と快諾してくださった。
しばらくして先生は製図室に現れた。学生たちは期待と緊張で、どんな話が聞けるのだろうと、ぴーんと張りつめた空気が漂う。入ってくるなり、一人の学生の図面を見て、「鉛筆は何を使っとんのや?」と尋ねると、弱々しい声で学生は「2Hです」。すかさず安藤先生「絶望的やぁ。鉛筆はBやで。自信持って濃く描かなあかん。建築の細かいことは鵜飼さんに聞いてくれや。じゃあ」とだけ言ってさっさと部屋を後にした。学生たちは唖然としていた。ほんの一瞬の出来事だった。私は、教育の真髄を感じた。鉛筆を濃く描く。それがすべての意志の基本であり、建築の本質であるということをたった一言で伝えたのだ。これは、何十時間の講義にも勝る指導ではないか。
このように、安藤先生は物事の本質を直感的にとらえ言葉や建築にする。だからこそ強い建築や空間が生まれるのだ。
安藤先生の初期の代表作に大阪の「住吉の長屋」という作品がある。長屋の一棟を切り取ってローコストのコンクリートの住宅にした。この住宅のユニークなのは家の内部に昔のような中庭があって、雨の日は、トイレに行くのにも傘をささなくては行けない。不便といえば不便だが、それを通り越して、人が住むとは闘いであることを具現化している。冷暖房もない。不安がる施主から「冬は寒くないですか」と聞かれ、「寒かったらシャツを一枚余分に着る。まだ寒かったらもう一枚着たらいい」と安藤先生は答える。「それでも寒かったら...」という問いかけには「その時はあきらめるしかないでしょう」と。
一見乱暴に見えるこの言葉にも人が生きてゆくことの本質を言い表している。色々なものに頼って楽に便利にするのではなく、冬の日は冬を実感し、雨の日は雨を実感する。本来それが人間が自然の中で生きる本質だったのかもしれない。
(鵜飼哲矢=建築家・九州大学大学院芸術工学研究院准教授)