特別寄稿|鳥栖駅前の二十分  稗田 尚 Hieda Hisashi

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駅前はがらんとしていた。約束の午後二時まで二十分あった。
自転車の将棋倒しになる音が聞こえてふり返った。帽子をかぶった老人が、倒れた自転車の上にうつ伏せになっている。

二十代の女性がひとり駆け寄って助け起こそうとした。でもなかなかうまくいかないようだった。

それを見て私は二人に歩み寄った。一方の手で老人の腕を抱くように持ち、もう一方を逆の脇に添えた。老人は「大丈夫」と言ったが、私はそれを無視し、手を貸そうとする女性に、「この人は私にまかせて、あなたは自転車を元通りにしてください」と頼んだ。あたふたしているのでもう一度くり返した。

老人はなかなか起き上がれなかった。こちらも強く引き上げはしなかった。
体がようやく自転車から離れ、再び「大丈夫」と言った。でも上体はまだ水平で、腰もふらついている。「気にしなくていいですよ」。そう言ってゆっくり起こした。彼は「情けない」と言った。

ようやく体が起きたので、どの自転車かと聞いた。杖代わりに押していたと思ったからである。

老人は、「タクシーに乗ろうとして」と言った。「でもなかなかつかまらなくて」。
目の前はタクシー乗り場である。一台がドアを開けて停車中だ。なるほど、それでここまで歩いてきたのか。

老人は私の介助でじわじわ歩を進めた。

「申しわけない」、「大丈夫」、「なさけない」とまた言い、私は「これも何かの縁ですから」と応じながら、なんとかタクシーにたどり着いた。

後部座席に座らせて足を中に入れながら運転手を見ると、顔をこちらに半分向けて、目で舌打ちをしている。私と老人がここまで歩き寄ってくるのを車中からじっと見ていたのである。私は少しむっとして、「明日のあんただ、ちゃんと運べよ」と言葉を叩きつけた。

タクシーが去ったあと、先ほどの女性がこちらに歩いてきた。黙って去るわけにいかず、父親くらいの年齢の私にどう対応していいかも分からない、そんな困惑が見えていた。

「大丈夫でしたよ」。そう言ってすぐそのあとに、「無事に家に着いてからあの世行き」と笑いかけた。娘は「えーっ」と目を丸くした。私なら言える冗談で、この娘が言えば毒になる。

「あの爺さんは私なんですよ」。しかしその言葉は娘に伝わらなかった。
「私はいま五十八だからね、いずれあの爺さんになるんです」
これにも反応はなかった。うかつに口を開くと失礼になると思ったのだろう。
「だから私は、未来の自分を助けたんですよ。私が私を助けた。そしてあの爺さんも、過去の彼から助けられた。ただそれだけ」

そこまで聞けば、あまり利発そうに見えない彼女にも飲み込めたようで、わずかながら深い目で私を見ていた。それに構わず私は続けた。「いつの日か私もああなる。そしてだれかが助けてくれる。
そのだれかとは誰か。それは『善意』ですよ。私の生きざまが善意となって助けてくれる。だからあの爺さんも、彼の過去、つまり善意が彼に手を差し伸べたんです、私じゃない」。

そう言いながら、今のままでは善意は私を助けてくれないだろうと思った。それはいずれ分かることである。

娘と別れて、あの娘が私の実の娘ならよかったのにと思った。だったらもっと分かってくれたはずだ。でも私が大病で入院するか危篤にでもならないかぎり娘は私のもとに来ないだろう。私が娘に助け起こされることは、たぶんない。

携帯電話が鳴った。どうやら約束の相手が近くまで来たようだ。


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