自分の方に顔を向けている人がいたとする。配偶者だったり恋人だったり、職場の誰かであったり、あるいは客だったりと種々様々だが、私が人を見るとき、こちらに向けた顔は参考にしない。なぜならその表情は、何らかの損得や利害を含んだものだからである。
むしろ、その人の横顔をちらりと見る。視線から外れると、私はそこにいないのと同じになり、先方に油断が生じる。その横顔に、寂しさや悲しみ、不満や失意はないだろうか。見るべきはそこである。
紀元前5世紀ごろ書かれた「孫氏の兵法」に、人の見方について触れた箇所がある。そのなかに「貧しい者を見る時は、何を欲しがるかではなく、何を受け取らないかを見よ」とある。
なかなか鋭い。
これをひねると「富んだ者を見る時は、何を得たかではなく、何を与えたかを見よ」とでもなるだろうか。
何をもって貧しいのか、富むとは何かも併せて考えてみると面白いだろう。自分も俎上に乗せて。
「口先よりもつま先を見る」という言葉もある。相手が何を語っているかではなく、何を行なっているかで判断する。この言葉も覚えておいて損はない。
ネガティブだと言われる人の中には、世の中を冷静に見ている人が案外多い。逆に、ポジティブあるいは「プラス思考」を誇っているような人は、願望と事実をごちゃ混ぜにしている場合も少なくない。「ポジティブな生き方で自分の人生を積極的に開拓しよう」という姿勢の人を私はあまり信じない。その言葉のもとに、人を傷つけ、いじめていることに気がつかない人が多いからである。そういった人はたいてい、ダサイ。「根っからの朗らか」とは違うのである。
人を見る目を養うための最も効果的な方法は、先に自分を正しく見る目を養うことだ。他者から見た目と本当の自分が乖離しすぎてはいないか。それが嵩じるといつか大きくつまずくことになる。
(コバルト色の空)