104歳児サブちゃんの十大習慣健康法 しいのみ学園理事長 福岡教育大学名誉教授 曻地 三郎 さん
脳神経外科最先端の演題が続く中、104歳の曻地(しょうち)三郎しいのみ学園理事長が「104歳児・サブちゃんの十大習慣健康法」~脳内・体内時計との関係や如何に~の文化講演で長寿と生活習慣の関連を話し会場は和やかな雰囲気に包まれた。
福岡県健康長寿マイスターのシンボルである赤マントと赤いリボンのシルクハットで登場した曻地博士は「こんな格好で現れて先生方は私の脳が壊れていると思われるのでは」と笑わせて長年の教育体験と長寿法を語り始めた。曻地博士は1906年(明治36)北海道生まれ。この年には夏目漱石が「坊ちゃん」を書いている。広島文理科大を卒業し、教職に就き結婚するが長男、次男とも脳性まひを患った。そこで自ら54年に福岡市に「しいのみ学園」を創設し、現在まで精神薄弱児通院施設の園長として教育に全力を傾けている。
世界各国で講演旅行 担当医も太鼓判
博士は現在、国内だけでなく海外で児童教育や長寿法を広めている。米国コロンビア大や英国ケンブリッジ大でも講演、中国では「しいのみクラス」を設立し、新たな教育法を伝え先方の希望で通学用バスも寄付した。
「今は地縁、血縁が薄くなっていますがお互いの絆を大切にすれば子供たちは素直に育ちます」と語った。
肩書でいえば学園の理事長と園長、福岡教育大名誉教授、韓国大邱大大学院長、モスクワ心理教育大名誉教授も努める。しかし、博士が誇りにするのは九大医学博士と広島文理科大文学博士の二つの博士号。「日本で医学と文学の博士号を持つのは森鴎外と私の二人だけです」と話し、会場は湧いた。
「もうずっと前に子供たちも家内も亡くなりました。それからは障害児教育と講演を続ける決心をしました」とひたすら前向きの日々。「長生きは良いもんです。海外に行くと右から左から女性が寄ってくる、モテますわ。もっとも104歳だから安全と思われるのでしょうね」と104歳児を自称するユーモア博士。子供のころは虚弱児でイジメに遭い「一度も級長に選ばれなかった哀れな少年」といい陸軍幼年学校の受験に失敗、父親の勧めで師範学校に進学。体が弱かった博士が104歳まで病気知らずでここまで健康なのは、徹底した自己管理と不屈の闘志があるからだ。
「私の生きがいは人を驚かせること、目標寿命は125歳」という博士は子供のころから食事で30回以上の咀嚼を心がけた。この咀嚼法は虚弱児を克服させようと曻地先生の母が指導したのだ。そんな博士の「元気長寿十訓」を紹介しよう。
- まず笑顔~人に受け入れられるユーモア
- 冷水摩擦~7時に起床、60年間続ける
- 棒体操~50年前に考案、米国の寝たきり老人が歩けるようになった例も
- 外国語を学ぶ~63歳から韓国語、90歳から中国語など7ヶ国語
- 30回の咀嚼~小食になる
- 口八丁、手八丁、足八丁~よく動く
- 新聞を読む~新しい情報を、テレビは補完
- 返事はすぐ書く~ペンで返書
- 日記をつける~韓国語か中国語で書く
- 硬いマットに寝る~仰向けで硬いマットに寝ると肝臓の血流がいいので「横に寝ると猫背になり老人になる」と海外のホテルでもボードを借りる。
長年、博士の健康状態を診断している島史雄ブックスクリニック福岡の機能神経外科医が「サブちゃんの若さの秘訣」を解き明かした。博士は海外に行っても時差に関係なく現地の時間で生活できる。「子供のころから続けた体内時計が出来ています」と島医師は語る。
外国語で日記を書く習慣は記憶を新たにし、スマイルとジョークを欠かさず、ストレスを貯めない。30回咀嚼の影響で通常人の半分程度の小食となり、糖を多く摂取せずとも糖尿病とは縁遠い。「私みたいな人間が増えれば食料問題も解決するのに」と話す博士自身の肝、腎機能は正常。
島医師は博士の詩「小さきは小さきままに、折れたるは折れたるままに、コスモスの花」を引用し「この思いやりの心が曻地先生の一生を貫く長生きの秘訣でしょう」と結んだ。
最後に曻地博士は恒例の「黒田節」を踊り、九州男児の意地を内外の脳神経外科医に見せた。